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2007年10月

(4)自由であることの大変さ

 私が小学校教師をやっていた頃、研修会などで強調されていたのは、「詰め込み教育ではなく、子どもの自由な発想を生かした授業を」ということだった。たとえば、分母が違う分数同士のたし算を教える時、いきなり通分のテクニックを教えこむのではなく、「どうすれば、異分母分数同士のたし算ができるだろうか」と投げかけ、子どもたちから自由なアイデアを出させるのである。そして、さまざまな選択肢を比較検討した後で、通分の知識に結びつけていく。このようなスタイルの授業が理想とされた。
 しかし、自由な発想を重視した授業で活躍するのは、もっぱら一握りの成績上位の子どもたちだった。もちろん私の指導力不足のせいもあったのだろうが、多くの子どもたちは、討論に参加するだけの考えが浮かばず、ただ感心しながら聞いているばかりだった。そして、通分のやり方のパターンが説明され、実際に練習問題を解く場面になって、やっと生き生きと活動し始めた。しかし、討論に時間をさいたぶん、練習の時間は短くなり、十分な計算技能が身につかないまま終わってしまう子どもも、少なからずいた。

 与えられた自由を享受するためには、それ相応の発想力や創造力が必要だ。そのような才能に恵まれない凡人にとっては、むしろ、「こうしなさい」と指示された方が自信をもって行動できる場合もある。このことは、子育てについても言えるのではないだろうか。
 もちろん、今の若い親たちが創造力に欠けているとは思わない。しかし、「人間を育てていく」という難事業の前には、親とはいえども、よちよち歩きの赤ん坊である。しかも、日本のように、都市化や核家族化が急速に進み、地域の伝統や宗教的なバックグラウンドから一気に切り離されてしまった社会では、よけいに戸惑いは大きいのではないだろうか。
 「母親はこうあるべきだ」「育児はこうするべきだ」ということが、唯一無二に決まっている方が、ある意味、とても楽なのだ。

 もっとも、伝統的な育児法や母親像の代わりに、現代においては、たくさんの育児情報がある。まったくのゼロから創造していくのなら大変だが、豊富な情報が用意されているのだから、ただその中から選べばよいだけではないか。こういう疑問をもつ方もいるだろう。しかし、「自分で選ぶことができる」という自由も、ある意味、とても大変なことなのである。
 胎教の是非から始まって、様々な出産法、「母乳が理想か、こだわる必要はないのか」、「布オムツか紙オムツか」「離乳食は手作りにすべきか」「早期教育は必要か否か」「厳しくすべきか、優しくがいいか」等々、たくさんの選択肢から何を選ぶかということは、わが子のことを考えると、重大な問題である。
 ある母親は言う。「子どもができる前は、そんなにくよくよ悩む方ではありませんでした。自分だけのことだったら、気軽に選べるのですが、子どものこととなると、そうはいきません。将来に影響するのではと思うと、考えれば考えるほど、どれが一番良いのかと悩んでしまうのです」。親としての責任が肩にのしかかっていると、「選択に失敗しやしないか」と不安はつのるのだ。

 紙オムツもミルクも便利な離乳食も、どこを探しても売っていなかった時代。多様な出産法や早期教育など、誰も知らなかった時代。自分の母親も、祖母も、曾祖母も、昔からこうしてきた。隣の奥さんも、向かいの奥さんも、近所の人たちはみんなこうしている。だから私も、同じようにやるだけ。そのような時代は、なんと気楽だったことだろう。
 禅宗の教えに、「飛び込め」という言葉がある。事を前に躊躇しているから不安が生じるのであって、えいっと実行に踏み込めば、迷いは消えるのだ。しかし、池が一つしかないのであれば、飛び込みやすい。そもそも昔の母親は、自分で飛び込んだ覚えはないのに、気がついたら池の中にいたのである。目の前にたくさんの池があり、それぞれの池の中で、「ここが、理想の育児法だよ!」と手を振っている人たちがいる状況では、躊躇してしまうのは当然だし、飛び込んだ後で、やっぱりあっちの方が良かったかもしれないと後悔することも多いのだ。
 「より良い子育てのスタイル」を模索しようとする親にとって、伝統社会からの価値の押しつけという“外敵”が姿を消してきたという意味では、やりやすくなった現代社会。しかし今度は、「自由」というものにまつわる責任の重さや不安という心理的な“内敵”の出現が、前向きであろうとする親たちを苦しめる。子育てに悩む親たちの現状を、一般の人たちが理解しづらいのは、それがおもに「内なる戦い」だからである。

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(5)TVゲーム全盛の必然性

 私が子ども時代を過ごしたのは瀬戸内海に面した小都市で、太平洋戦争中には、戦艦大和が建造された海軍工廠があったところだ。そのせいか昭和30年代になっても、町のはずれには、防空壕の跡がまだいくつか残っていた。子どもが入って遊んでいて壕が崩れ、大けがをしたとか、死んだとかという話も聞いた。親や先生には「絶対に入っていけない」と言われていた。防空壕のほとんどは、コンクリートでしっかりと入り口が塞いである。しかし中には無防備の状態で放置されていたものあって、ぽっかりと口を開け、未知の暗闇の世界に誘うその存在は、子どもたちにとっては逃れがたい魅力をもっていた。
 ある時、近所の年上の悪ガキに誘われ、禁を犯したことがある。少し山に分け入った崖に口を開けていたその防空壕は、小学生がかがんで入るのがやっとの小さなものだった。言い出しっぺの悪ガキは、家からこっそり持ち出したペンライトを片手に、先頭で中に入っていく。誘われた年下の者たちはそれに続いたが、気弱な私は、入ろうか逃げようか迷ったあげく、最後尾からついていった。悪ガキの持つ明かりは、後ろまでは届かない。カビ臭く湿った暗闇の中を、のろのろと進みながら私は、穴が崩れるのではという心配より、戦時中、壕の中で生き埋めになった亡霊が襲ってくるのではないかという恐怖でいっぱいになった。その時のドキドキは、今でも忘れられない。

 あの時代の子どもたちは、親の目の届かないところで“冒険”を楽しんでいた。秘密基地作りが全盛で、空き地や工事現場の片隅などは、かっこうの遊び場だった。大人の目の届かない場所、見つかれば怒られるかもしれないが、大丈夫かもしれないという「冒険のためのグレーゾーン」は、近所にまだたくさんあった。
 今の社会から見れば、森も空き地も工事現場も、町のいたる所、「ずさんな管理」だらけだった。そのぶん事故もあっただろう。しかし当時は、施設管理者の責任を問うよりも、親のしつけが責められるよりも、まず先にこっぴどく叱られたのは当の子どもだった。ところが、「子どもの安全」が最優先される現代では、事情はがらりと変わっている。
 ある町内会で、団地に隣接する小さな森を、地主に交渉して遊び場として開放してもらおうという計画が持ち上がった。「それは、いいことだ」と、町内総会では満場一致で支持された。しかしその後、「万一事故が起きたら、いったい誰が責任をとるのか」「事故防止のため、監視員を雇うべきだ。その予算はどこから出すのか」といった声が上がり、計画はあっという間に立ち消えになってしまったという。
 子どもたちを守るセキュリティシステムが整備された社会では、“冒険”は姿を消さざるを得ないのだ。「安全な冒険」など存在しない。なぜなら、「冒険」とは、「危険を冒す」という意味だから。

 しかし、この矛盾を見事に解決したのが、TVゲームなのではないだろうか。ゲームの中で主人公になりきれば、ドキドキする冒険が可能だ。またゲームの世界には、複雑な機械操作や友だちとのデータ交換など、大人たちがなかなか入っていけない領域が広がっているが、これもまた、子どもにとっての魅力の一つだろう。
 子どもが持て余している体力と感情を、スポーツの中で発散させようという試みがある。幼児のうちから、りっぱなユニフォームを与えられ、大人の指導の元に汗を流す子どもたち。しかし、ちょっとした休憩時間には、グラウンドの片隅で、TVゲームに没頭する子どもがいる。そこには、“大人公認の場”では得られない何かがあるのだ。
 「安全でいてほしい」という大人の思いと、「危険な冒険をしたい」という子どもの思いの妥協の産物が、TVゲームなのだ。それゆえ、ブームは当分衰えることはないだろう。

 ところが、TVゲームによる「疑似体験としての“冒険”」と、昔の子どもの「実体験による“冒険”」とでは、感情体験の質が微妙に違っている。後者における感情体験は、体全体からわき出るような感情発散であり、その意味ではじゃれあい遊びに近い。しかし前者の場合は、非常に限定的な感情体験である。
 TVゲームにおいては、指先の細かい操作やデータ認識、攻略法などの情報処理が重要な要素を占める。冷静な判断・正確な処理や操作が必要とされるのは、ゲームの目的が「クリア」(目標の達成)だからである。TVゲームのおもしろさは、挑戦の過程での感情体験もさることながら、目的達成による快感に負うところが大きい。
 昔の子どもの「実体験による“冒険”」では、目的の達成は、いつの間にかどうでもよくなってしまうことが多かった。秘密基地が未完成のまま終わろうが、最後に壊れてしまおうが、活動の過程での感情体験の方がおもしろかったのだ。
 こういったTVゲームの特性は、現代の子どもの感情抑圧傾向に拍車をかけてしまう傾向をはらんでいる。

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