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2007年6月10日 - 2007年6月16日

(3)“よい子”がキレるメカニズム

 「ささいなことで急にかんしゃく起こし、大暴れになって手がつけられない」という相談を受けた。3歳の男の子である。いわゆる反抗期には、子どもは、親の言うことを素直に聞かなくなるものだ。それは自然な成長過程であり、いちいち親が目くじらを立てていても仕方がない。ところが母親の話によると、その子のかんしゃくは限度を超えているらしい。
 機嫌よく食事をしていた子どもが、手を滑らせてスプーンを落としてしまったとする。呆然としている子どもに、「拾おうね」と何気なく声をかけると、急にギャーッと叫び声を上げ、食卓の上の物をグチャグチャにして暴れるのだという。
 しかし、理由もなしに、子どもがそんな状態になるとは考えられない。何らかのストレスを溜めこんでいるか、あるいは親のしつけ方に問題があるのではないか。そう思いながら、親子の来室を待ち受けた。

 「こんにちは。おじゃまします!」。顔を合わせたとたん、その男の子は、きちんと挨拶をした。そして、さっさと部屋に上がり、そこにあったおもちゃで遊びはじめた。面談中も機嫌よく遊んでいてくれたので、母親とゆっくり話をすることができた。
 「オリコウサンじゃないですか」と言うと、「ええ、そうなんですが…」と母親は浮かぬ顔だ。育児サークルなど外ではわりと機嫌がいいので、友人たちにも、「いい子じゃない。気にしすぎよ」と言われるのだという。ところが「魔の時間」がやってくるのは、たいてい家に帰ってからで、夕方から夜にかけてが危ないのだそうだ。
 面談の終了の時間が近づいた頃、子どもが母親のバッグを開け、お菓子を取り出そうとした。事前に、相談室での飲食は遠慮していただくようにと伝えてある。母親は、「お菓子は、お話が終わってからねって言ったでしょ」と、穏やかな口調でたしなめた。その瞬間、子どもはまわりにあったおもちゃを蹴散らし、大暴れを始めたのだ。一瞬のうちの豹変だった。
 「なにやっているの! だめでしょ!」と叱る母親。それでも子どもは暴れ続ける。気の毒になった私は、「じゃあ、少しだけ食べさせてあげたら」と声をかけた。ところが今度は、母親が渡したお菓子を部屋中にばらまき、さらに激しく暴れ続ける。「いつもこんな調子なんです。こんなふうになったら、もう何を言ってもだめで、30分や1時間は平気で暴れ続けます」と、あきらめ顔の母親。

 厳しすぎるわけでもなく、甘すぎるわけでもなく、ごく常識的に接している母親。それなのに、些細な理由で、異常なまでの激しいかんしゃくを起こす子ども。いったい何が原因なのか?
 実は私には、初めて子どもと顔を合わせた時から、だいたいの察しはついていた。
 「急にキレる」という子どもの生育歴を聞くと、もともとはとても過敏で恐がり屋だった子どもが多い。そういうタイプの子どもは、ふつう、初めての場所や相手には緊張するものだ。場合によっては、玄関先で「入らない!」とダダをこねたり、一人遊びにすぐあきて母親にまとわりつき、「おうちに帰る!」とぐずり始めることもある。しかしそれでも、なだめているうちに、なんとなく落ち着いてくるものだ。
 ところが、「急にキレる」子どもの場合、初めての場所や相手でも、妙に平気でいることが多い。しかし、その“仮面”の裏で不安と緊張を溜め続け、限界まで来ると、ささいな理由で大爆発を起こすのだ。日中、親が気がつかないうちに溜めこんだたくさんストレスは、夕方になって臨界点に達することが多い。
 幼児期において、早々と問題が表面化する子どもは、まだ運がよいのだろう。小学校高学年や中学生なって、やっと臨界点を迎えた子どもの場合、長年溜めこんだストレスの量は想像を絶する。それが一気に吹き出てくるのだから、周囲に及ぼす影響は深刻なものがある。

 親子カウンセリングを続けていくと、最初に子どもに現れる変化は、「小出しのダダこね」をするようになることだ。その場その場でのダダこねは、子どものストレスを発散させる。ひどいダダこねにはならないし、理由もわかりやすい。ストレスを溜めこんだ末の大爆発とは質的に異なる、「指向性のある表現行為」としてのダダこねなのだ。このような「リアルタイムの小さなダダこね」ができるようになると、急にキレるということもなくなってくる。
 もっとも、このように説明をすると大袈裟なことになるが、これは小さな子どもにありがちな「ごく普通のダダこね」だ。子どもは、親から教わってダダこねを覚えるのではない。それは、自然に出てくるはずの本能的な行動だ。それを、わざわざ親が引き出していかなければならないとすれば、大変なことだ。
 こういった、現代の子どもがもつ感情抑圧的な傾向は、「泣く」という行為にも表れている。

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(2)責任者は誰だ?

 青少年の凶悪事件が起き、今どきの子どもの“育ち”に世間の関心が集まるたび、必ず教育改革が話題となる。かつては、「学校での詰め込み教育が原因だ」と批判を浴び、“ゆとり教育”が打ち出された。それが昨今では、「学力の低下を招いた」と問題視されるようになってきた。そのたびに、現場の教師たちは右往左往する。

 1980年代に、中学校での校内暴力がピークを迎えた頃、私は小学校の教師をしていた。ある時、中学校の教師に、「小学校での指導に、問題があるのではないか」とぼやかれたことがあった。「今の中学生は、入学した時からすでに、昔とは違うやりにくさがある」というのが、その教師の言い分だった。
 1990年代に入り、今度は、小学校での学級崩壊やいじめの問題が深刻化してきた。そんな頃、一部の小学校教師の間では、「幼稚園での指導に原因があるのではないか」という声があがっていた。そもそも入学してきた時から、子どもの様子がおかしい。入学式の途中であきてしまい、椅子の上に乗って後ろを眺めだす子どもが一人や二人ではない。教室でも椅子に座っていられず、勝手に歩き回る子どもが大勢いる。昔の子どもは、こんなではなかった。
 現場の教師たちには、「学校教育が元凶だ」という声があがるたび、空しさを覚える。もちろん、学校の教育体制にも改善の余地はあるだろう。しかし、そもそもスタートの時点で子どもがおかしいのだから、原因は入学以前にあるはずだ。かくて、中学校の教師は小学校を疑い、小学校の教師は幼稚園や保育園のせいではないかと疑う。

 それでは子どもの変質の原因は、幼稚園や保育園の指導のあり方にあるのだろうか。幼稚園では、1990年代に、“自由保育”の考え方が急速に広まった。画一的なカリキュラムに縛りつけるのではなく、子どもの自由な発想や自主性を重んじようという指導方法である。「自由保育によって、しつけがおろそかになったから、小学校の教師が苦労するのだ」という声に対して、幼稚園のベテラン教師たちは言う。「入園の時から、昔の子どもとは違うので、私たちも苦労しているのです」。
 そもそも入園時から、従来のカリキュラムには乗ってこられない子どもが増えてきた。その状況に対応するための“苦肉の策”という側面が、自由保育全盛の陰にあるのだという。「今の母親は、昔とずいぶん変わってきましたからねえ。親の育て方が、一番の問題なのではないでしょうか」。
 かくして責任者捜しの矢は、中学校、小学校、幼稚園を経て、母親へと突き刺さる。子どもの変質の原因は、親の育て方にあるのだろうか?

 現場の教師たちが口を揃えて言うのは、親のタイプの二極化だ。昔も、それなりに無神経な親はいたし、神経質な親もいた。しかし大多数は、そのどちらの極端でもない“普通の親”だった。
 ところが今は、子どもに対する配慮に欠け、まるで自分が“子ども”のように傍若無人に振る舞う“とんでもない親”が確実に増えている。その一方で、子どもの一挙手一投足を気にしすぎ、親としての重圧にあえぐ“まじめすぎる親”も増えているのだという。
 “とんでもない親”の子どもに、様々な問題が生じてくるであろうことは容易に想像できる。それでは“まじめすぎる親”に対しては、「気にしすぎないように」とアドバイスしていれば、事足りるのだろうか。

 相談室を訪れるのは、子育てに行きづまっている現状をなんとか打開したいと思って来るのだから、大半はまじめな親だ。「気にしすぎ」の傾向をもつ親もいる。
 しかし、よく話を聞いてみると、大半のケースでは、「気にしすぎてしまうのも、無理もない経過」がある。つまり、親の育て方うんぬんの前に、もともと「育てにくい子ども」だったために、悪循環に陥ってしまったのである。

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(1)ジャイアンになれない「いじめっ子」

 昔、いじめっ子と言えば、ドラえもんに出てくるジャイアンのようなタイプの子だった。やることなすこと、がさつで自分勝手。「言うこと聞かないと、ぶん殴るぞぅ!」と脅しながら、周囲の友だちを従わせようとする乱暴者。
 しかし最近、「友だちに手を出して困る」と相談を受けるケースの多くは、ジャイアンとは正反対のタイプの子どもだ。もともとは臆病で神経質だった子が、ある時期を境に「いじめっ子」に豹変しまうのである。

 入園以来、友だちを引っかいたり、噛みついたりが止まらない子がいた。最初、先生は、「園に慣れてくれば、落ち着くはずだ」と思っていた。ところが何ヵ月たっても、いっこうに収まる気配がない。理由もなく突然手が出るので、目が離せない状態が続いた。
 母親もいろいろ努力してみた。優しく言い聞かせると、「うん、わかった。明日は頑張る」と言うのだが、次の日もまた事件を起こす。甘やかしすぎたかと思い、厳しく叱ると、チックや頻尿などの神経症状が表れ、突然夜中に飛び起きて泣き叫ぶこともあった。どこで育て方を間違えたのか、どうすればよいのかと、母親は困り果てた。

 神経が図太いジャイアンのような子どもならば、厳しくしつけていくしかない。しかし、「いい加減にしろ!」と叱っているうちに、年齢が上がって分別がついてくると、次第に落ち着いていくものである。
 しかし繊細な心を持つ子どもは、強く叱ると一気にストレスが溜まり、様々な神経症状が出てきやすい。かといって、事の善悪を教えようとしても、変化が見られないことが多い。それは子どもも、「やってはいけないこと」と頭ではよく分かっているからだ。
 ではいったい、どのように接していけばよいのか。そのヒントは、親子と面談する中で見つかった。

 母親の話によれば、赤ん坊の頃から過敏な子どもだったそうだ。人見知りがはげしく、公園デビューもままならなかった。幼稚園へあがる時も、友だちになじんでいけるだろうかと気を揉んだ。ところが、入園早々あっけなく母親から離れ、拍子抜けしたという。
 母親がそこまで話した時、それまで横でおとなしく遊んでいた子どもが、突然おもちゃ箱をひっくり返し、その後はまた、何ごともなかったかのように遊び続けた。その様子を見て、「今の母親の言葉に、解決への糸口が隠されているのだな」と私は感じた。
 友だちに手を出してしまう理由を聞いても、子どもは簡単には教えてくれない。なぜ自分がそうしてしまうのか、子ども自身もはっきり分からないでいる場合もある。ところが、子どものちょっとした動きに、子どもの深い気持ちが表れることが多い。おもちゃ箱をひっくり返すという行為に、私は子どもの怒りやいらだちを感じ、解決へのヒントを見た。

 ふつう、友だちに対して不安を持つ子どもは、母親から離れるのを嫌がったり、先生にしがみついたまま友だちに近づこうとしなかったりする。しかし、そうやって不安を訴えられる子どもは、だんだんに落ち着いていくのだ。
 ところが、平気な顔で不安を抱え込んでしまう子どもは、ちょっとしたきっかけで不安が恐怖に変わり、衝動的に手が出てしまう。「攻撃は最大の防御」なのだ。昔のいじめっ子は、暴力によって友だち関係を作ろうとした。しかし、今の「いじめっ子」は、暴力によって友だちを近づけないようにしているのだ。
 この子の場合、登園時に母親と離れる際にベソをかいたり、友だちに近づこうとせず先生にしがみついたりといった行動ができるようになってくると、友だちに手を出さずに済むようになった。半年もすれば、友だちと仲良く遊ぶ姿が見られるようになった。

 個性をむき出しにする子どもが多かった時代には、悪ガキがたくさんいた。「いい加減にしろ!」と、子どもをぶっ飛ばさなくてはならない母親も、今よりもたくさんいたのではないだろうか。しかし、ぶっ飛ばしていれば事足りていた時代は、今にして思えば、親子ともども幸せな時代だったのだ。
 繊細な個性を隠すために、「母親と離れても平気な子」「友だちに手を出すいじめっ子」という“仮面”をつける子どもたち。“仮面”を“本来の個性”と勘違いして接していると、どんどん悪循環に陥ってしまう。ほんの小さいうちから、子どもの“ホンネの気持ち”が見えにくくなってしまっていることが、今の「子育ての大変さ」の大きな要因の一つなのだ。

 親が「よい子」を強要したわけではないのに、ホンネの気持ちをしまい込み、無理をしてしまう子どもたち。それはまるで、スマートな人間関係の裏でストレスにあえいでいる、現代の大人社会の縮図を見るようだ。

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