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2007年7月8日 - 2007年7月14日

(6)“仮面”をかぶった子どもたちの葛藤

 小学生の子どもをもつ母親から相談を受けた。2年生になって、急に家で暴れるようになったという。大騒ぎをしたあげくに、「ママを刺す!」と叫び、台所から包丁を持ち出すという出来事があった。その時は、なんとか説得して事なきを得たが、今後のことを考えると不安でしかたがないという。そこで親子で来てもらい、じっくりと話を聞くことにした。

 会ってみると、ごく普通の子どもで、ごく普通の母親だった。話を聞く限りでは、今までの育て方に、特に問題があったとは思えない。ただ、「赤ちゃんの時はおとなしく手がかからない子で、今まで反抗期らしい反抗期もなかった」という点が、少し気になった。
 学校での様子を尋ねると、「元気に頑張っている」という。ところが、その母親の言葉に、子どもの顔が一瞬こわばった。そこで、学校での状況をさらに詳しく聞こうとした時、子どもが暴れだした。そして、「ママをぶっ殺す!」と言いながら、母親に殴りかかろうとしたのだ。
 とっさに私は、子どもの手を押さえ、暴れる子どもともみあいになった。「ぶっ殺す!」と叫び続ける子どもとの取っ組み合いが、しばらく続いた。ところが、ふとしたはずみから、私の手が子どもの顔に当たった瞬間、子どもは、それまでのドスのきいた声から一転し、「ママ、ママぁーっ」と赤ん坊のような甘え声で、母親に泣きついた。そして母親にしがみついたまま、ひとしきりワァワァ泣いた後、そのままコトンと眠ってしまったのだ。

 3歳前後の反抗期の子どもは、自分の非を、「ママのバカ!」と母親のせいにしてダダをこねることがある。これは、自立への不安が自己否定に結びついてしまうことを回避するための、心理的な防衛のメカニズムだ。この子の「ママをぶっ殺す!」は、学校の活動に自信をもって参加できない「自分自身へのいらだち」の反映であることが、あとになってわかってきた。溜めこんだ末の大爆発になると、表現としてはすごいことになるが、それも「遅ればせながらのダダこね」にすぎないのだ。
 寝てしまった子どもの体をなでながら、母親は言った。「こんなふうに素直に甘えてきてくれたことは、今まで、ほとんどありませんでした。この子なりに、いろいろ我慢していたのですね」。小学生らしからぬ赤ちゃんのような泣き声は、赤ん坊の頃から「仮面」の陰で抱えていた気持ちを、やっと表現することができたからだろう。
 このことをきっかけに、この子はだんだん母親に甘えられるようになり、そして学校でいかに緊張するかを、母親に打ち明けるようになった。そのぶん、家で暴れることも少なくなっていった。
 ある日、車を運転する母親に、後ろの席から子どもが話しかけた。「ママ、こんな時にしか言えないんだけど…」と、子どもは口ごもりながら言った。「ママ、ボクを産んでくれて、アリガトウ」。その日はちょうど、その子の誕生日だったのだ。母親は、ハンドルを握ったまま涙が止まらなくなり、困ってしまったという。

 心の深い部分が明らかになってくると、「仮面」をつけてしまう子どもには、親思いの子がとても多いことに驚かされる。
 前出の、幼稚園で乱暴が止まらなかった子どもも、入園と母親の出産が重なっていた。しかし、下に兄弟が生まれた時にありがちな“赤ちゃん返り”のようなこともなく、赤ん坊を可愛がる「良いお姉ちゃん」だった。それでも、カウンセリングの中で母親が、「本当は寂しかったね。でも、ママが大変だと思って、我慢していてくれたんだよね」と慰めると、ウンと小さくうなずき、赤ちゃんのようにしくしく泣いた。
 「急にキレる」という子どもの場合も、母親が風邪で寝込んだ時など、ずっと付き添って看病しようとしたり、夫婦げんかの時は母親の味方になって、父親を叩きにいこうとするなど、とても母親思いの子だったのだ。

 この「母親思い」という性格が、「仮面」をつけてしまうことと、深く関係しているように思えてならない。
 子どもに泣かれたり、ダダをこねられたりして、喜ぶ親はいない。しつこく甘えられることも、負担に思うことが多いだろう。だからといって、ふつう子どもは、親に遠慮をしたりはしない。ところが、生まれつき感受性の高い子どもは、親の気持ちがわかりすぎ、親に負担をかけまいと、無理にホンネの気持ちをしまい込んでしまうのではないだろうか。そう考えると合点がいくケースが、長年、多くの相談を受けていると、あまりにも多いのである。それは、赤ちゃんの場合も例外ではない。

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(5)愛させてくれない赤ちゃん

 私のもとに相談に訪れる母親は、それまでにも、周囲の人からいろいろとアドバイスを受けていることが多い。子どもの成長につまずきがあった時、まず一番に疑われるのは、親の愛情不足だ。十分甘えさせてやりさえすれば、それなりに成長していくのが子どもというものである。そのように指摘され、異を唱える母親はいないはずだ。
 子育てに悩む多くの母親は疲れ切り、子どもに心からの愛情をもてなくなってしまっている。だから「愛情不足だ」と指摘されても、返す言葉がない。

 「困った子どもなので、愛情が薄らいできてしまった」というのだったら、まだ同情の余地はある。しかし、「もともと愛情が不足していたから、子どもの育ちに問題が出てきた」という場合は、母親の責任以外の何ものでもないだろう。しかし後者のようなケースは意外に多いのだ。
 ある母親は告白する。「保育士をやっていて、もともと子どもは大好きでした。出産も心待ちにしていたのですが、なぜか、生まれてきた赤ちゃんが可愛く思えなくて…。この子が手に負えないいたずらを繰り返すのは、きっと私の愛情が足りなかったせいだと思います」。
 出産直後の母親は体調が不安定だ。同時に、精神的にも不安定になる。いわゆる「産後ブルー」(産後うつ)である。しかしほとんどの場合は、体調が回復するにつれて気持ちも落ち着いていき、子どもに対する愛情が生まれてくる。だとすればこの母親の場合は、産後ブルーによる挫折感から立ち直れなかったことが原因なのだろうか。
 ところが母親の側ではなく、赤ちゃんの方に問題がある場合がある。「母親の愛情が育ちにくい」タイプの赤ちゃんが増えているのだ。そのようなケースでは、母親の産後ブルーが深刻化しやすい傾向がある。

 ひとつは、おとなしすぎる赤ちゃん、いわゆるサイレント・ベビーだ。おっぱいを要求する以外は、ほとんど泣くこともなく眠ってばかりいる。母親がかまってやらなくても、一人で機嫌よく遊んでいたり、母親の姿が見えなくなっても平気だったりする。最初のうちは楽でいいと思うのだが、そのうち、「子どもにとって私は、いてもいなくてもよい存在なのだろうか」と感じはじめ、空しさに襲われるようになる。赤ちゃんの世話は大変だが、自分を必要としてくれる存在だからこそ、愛おしく感じられるようになるのだ。
 もうひとつのタイプは、反対に、異常なほど母親から離れられない赤ちゃんだ。目覚めているうちは、少しでも下に置いたとたん、悲鳴のような声で泣き続けるので、絶えず抱っこかおんぶをしていなくてはならない。寝つきが悪く、やっと寝たと思っても、小さな物音ですぐに起きてしまい泣きわめく。母親は、片時も気が休まる暇がない。毎日の世話に疲れ切り、愛情が育つ余裕すらもてなくなるのだ。
 この2つのタイプの赤ちゃんは、前項でふれた「めったに泣かない子ども」「ギャーッという異様な声で泣き続ける子ども」という、幼児に見られる両極端と酷似していることに気づかれただろうか。
 母親を呼ぶ可愛らしい甘え泣きに応じ、抱き上げてあやしてやると、満足して落ち着く赤ちゃん。この繰り返しの中で、子どもに対する母親の愛情は開花していく。愛情が育つためには、赤ちゃんからの協力が必要なのだ。

 このような赤ちゃんは、抱いた時の様子にも特徴がある。
 ふつう赤ちゃんは、抱いてやると、母親に身を任せてくる。生まれて間もない赤ちゃんであっても、母親が抱く動作に対して、ごく小さな動きではあるが、それと呼応する動きをする。赤ちゃんを抱いた時に感じられる“一体感”が、母親の愛情をはぐくむのだ。
 ところが、「母親の愛情が育ちにくい」タイプの赤ちゃんは、抱いてやっても体に力が入ったままで、母親に身を任せようとしない。絶えずモゾモゾと落ち着かず、母親から目をそらすように体を反り返らせることも多い。いつまでたっても、ゆったりとした“一体感”を感じさせてくれないのだ。このような状態が続くと、それは母親の感情に微妙な影を落としていく。一緒にいても、「ここから先は母親を入れるわけにはいかない」と感じられるような心理的な壁が、子どもとの間に厳然と存在しているような感覚になるのだ。片思いが続くと、どう頑張ってみても、思いは冷めていく。

 このような赤ちゃんも、親子カウンセリングが進み、もつれていた糸がほぐれてくると、可愛らしい甘え泣きが増え、ゆったりと抱っこをさせてくれるようになる。抱きしめたわが子の、ぴったりとした感触を味わいながら、「こんなの、初めてです」と涙ぐむ母親も少なくない。

 このように、育て方のいかんを越えて見られる、子どもたちの感情抑圧的な傾向の裏には、どのような心理的なメカニズムが存在するのだろうか。

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(4)泣き声の変化が意味するもの

 「最近の子どもの泣き方は、昔とはずいぶん違ってきた」と感じている人は、案外、多いのではないだろうか。
 嬉しいにつけ、悲しいにつけ、感情をおおらかに表現する子どもが多かった時代には、豪快に泣き声を上げる子どもを、あちこちでよく見かけたものだ。ところが最近は、少子化の影響もあるのだろうが、泣いている子どもを見かけることが少なくなってきた。それでも、たまに大声で泣いている子どもを見るが、昔ながらの「うわ~ん」という豪快な泣き声ではなく、「ギャーッ」という悲鳴のような泣き声であることが多い。
 どちらも、うるさいことには変わりはない。しかしこの泣き声の質的な違いは、子どもの成長に大きな影響があるのだ。

 「急にキレてしまう」「落ち着きがない」「根気が続かない」「友達の輪に入れない」等々、私の相談室には様々な悩みが持ち込まれる。その多くは、「子どもだから仕方がない」「そのうちなんとかなる」という限度を超え、育て方をいろいろ工夫してみても、どんどん悪循環になってしまっているケースだ。そういった「育てにくい」子どもたちは、泣き方に共通の特徴がある。
 まず、めったに泣かない子どもが多い。転んだ時、親とはぐれた時、怖いめにあった時など、ふつうこの年齢の幼児だったら泣くだろうというような場面でも、妙に平気な顔でいるのである。
 また反対に、ちょっとしたきっかけで、ギャーッと絶叫するように泣きわめき、大暴れになる子どももいる。このような子どもが泣く様子をよく見ると、妙に喉に力を入れていることがわかる。これは、泣くことを止めようとしているのだ。ギャーッという異様な泣き声になるのはそのせいで、無理に我慢しようとするから、かえって長泣きになってしまうのだ。小出しのダダこねができない子どもが、かえってひどいダダこねになってしまうのと同じメカニズムが、そこにはある。
 しかし、こういった子どもたちも、わーんと豪快に泣いたり、ふえーんと甘えるように泣けるようになってくると、ほとんど例外なく、「困った行動」や「気になる様子」が改善されていく。これはいったい、何を意味するのだろうか。

 「泣くこと」に関する学術的な研究は、日本ではあまり注目されていないようだ。海外の例では、アメリカの生化学者、ウィリアム・フレイ二世(William H. Frey II)の研究がある。それによれば、「感情の涙には、ACTH(副腎皮質刺激ホルモン)が含まれており、それはストレスによって分泌されたホルモンだと考えられる。つまり泣くという行為は、体内に生じたストレス物質を排出するための重要な行為である」と報告されている。(『涙―人はなぜ泣くのか』ウィリアム・フレイ二世・著、石井清子・訳、日本教文社)
 無力な子どもは、大人以上に不安や恐怖を感じやすい。それにもかかわらず、大人ほど深刻なストレス状態に陥らないのは、考えてみれば不思議なことである。その裏には、泣くことによるストレス発散のメカニズムがあり、子どもが大人よりも泣きやすいのは、そのせいなのだ。
 迷子になった子どもは、親の顔を見たとたんにワッと泣き出すが、不安な状態が去ったのだから、泣く必要はないはずだ。しかしそれは、不安な気持ちを親に訴えることにより、心に溜まったストレスを吐き出す作業をしているからなのだ。

 かつてのような「泣き上手」「ダダこね上手」の子どもが減ってきている状況は、子ども全体に、感情抑圧的な傾向が進んでいることを物語っているのではないだろうか。それが、子どもの「ストレスの抱えやすさ」「ホンネの見えにくさ」の大きな原因になっているように思えてならない。
 これは、親の育て方のせいだろうか。ところが育て方うんぬん以前に、生まれた時からすでに感情抑圧傾向をもつ赤ちゃんの相談も増えている。そのような赤ちゃんの場合、成長の基盤である「親子関係」が成立しにくくなってしまうので、事態はさらに深刻だ。

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