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2007年8月12日 - 2007年8月18日

(3)甘えと発散によるゆるみ

 極端に落ち着きがなく、小学校が心配だという幼稚園年長組の子ども。平気な顔はしているが、不安と緊張を抱え込みながら、それを絶えず動き回ることによって我慢しようとしているのが見てとれた。そこで、リラックスを促すために、じゃれあい遊びによる気持ちの発散を誘ってみることにした。
 子どもの体に触れたり、手を軽く引っ張ったりして、「ねえ、ねえ、遊ぼうよ」とじゃれてみる。スルリと逃げられる。「待ってよ~」と追いかけてつかまえる。また逃げられる。しばらくは、そんなことの繰り返しだった。しかし、ちょっとしたやりとりの中にも、この子の持つ“人との関わり方の不器用さ”が垣間見られた。
 あまり緊張しないタイプの子どもだと、この手の遊びには目を輝かせる。「いやだよ!」と言いながらも、嬉しそうな顔で、反対にちょっかいを出してきたりする。逆に緊張の強い子どもだとしたら、不安そうな表情を浮かべ、母親のところへ逃げていき安全を確保しようとする。しかしこの子どもの場合は、そのどちらでもなかった。遊びにのってくるわけではなく、かといって、母親に助けを求めるでもない。ひたすらちょっかいに耐えながら逃げ回るのだが、顔には不可解な笑みを浮かべているのである。
 それでも、しつこくじゃれあい遊びに誘い続けていると、突然、ギャーッと叫び、叩いたり、噛みついたりしはじめた。母親は慌てながらも、「家でも、幼稚園でも、わがままな行動を注意すると、突然こんなふうになることがある」と言う。

 長年、じゃれあい遊びに取り組み続けている「さつき幼稚園」でも、似たようなことがあるそうだ。遊びが夢中になると本性がむき出しになり、ケンカや、先生を叩く・蹴るなどの行動が出てしまう場合があるという。
 しかしこのような事態は、小さな子どものカウンセリングでは、よくあることだ。じゃれあい遊びは、閉じていた“心の蓋”をはずす作用がある。そうなると、ほどほどのストレスがある子どもは、ほどほどの気持ちの発散で済む。しかし、周囲の大人が気づかないほどの大きな不安や緊張を溜めこんだ子どもは、それが一気に吹き出してくるので、限度を超えた大暴れになってしまうのだ。
 もっともそれは、やっとホンネの気持ちを表現しはじめたことを意味するから、“適切な不安の訴え方”を学んでもらう絶好のチャンスだと言える。母親にしっかりと抱きしめてもらい、「嫌なことがあったら、お母さんのところに、ヤダヤダを言いに来ていいんだよ」と慰めてもらう。気持ちがすっかり吐き出されると、子どもはゆったりと母親に抱かれて落ち着くのだ。
 このような接し方を続けるうちに、多くの子どもは、だんだん甘え上手・ダダこね上手になり、無理に気持ちを溜めこまなくなってくる。この子の場合は、「幼稚園は嫌だ」と訴えるようになってきた。集団参加に伴う緊張を人知れず溜めこみ、それを動き回ることによって紛らわし続けていたのだろう。毎朝、登園をぐずるなど、一時母親は大変だったが、一方で子どもの行動はぐんぐん落ち着いていった。そして入学を迎える頃には、元気に登校していけるようになったのだ。

 スーパーや電車の中、病院の立ち会い室など公共の場で騒ぐ子どもが増えたと、時々問題視されることがある。「今の若い親は、しつけがなっていない」「人間関係が希薄になって、まわりの大人も見て見ぬふりをしていることが多い」という意見もある。
 もちろん、しつけは必要だろう。しかし過緊張状態のままでは、昔ながらのしつけをしようと思っても、なかなかうまくいかないことが多い。しかも、自分勝手に動き回る子どもが「緊張している」ということは、一般には、なかなかわかってもらえない。その結果、「甘やかしすぎ」と判断され、厳しい対応がされることが多いが、それは逆効果になってしまうのだ。緊張がかえって高くなり、よけいに落ち着かなくなる。さらに厳しく叱ると、別のまぎらわしの行動(爪噛み、指しゃぶり、髪を引き抜く、自傷行為など)が出てくるケースもあるのだ。

 心と体が緩まないことが原因で、落ち着きがなったり、悪ふざけが止まらなくなったりしている子どもたち。このような子どもの場合は、優しく接するにせよ、厳しくしつけるにせよ、それが結果的に心の蓋を閉じるような作用を及ぼすと、ますます緊張が高まり、逆効果になってしまう。
 このような子どもに必要なのは、上手に甘えたり、泣いたり、ダダをこねたりして、うまく気持ちを発散することなのだ。昔に比べて、本当の意味での甘え上手・泣き上手な子どもが減ってきたことが、子どもの体に過緊張状態を引き起こし、落ち着きのない子どもが増える一因になっているのではないだろうか。

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(2)緊張しすぎて、落ち着けない子ども

 今、保育園・幼稚園の先生たちは、落ち着きのない子どもへの対応に苦慮している。勉強のカリキュラムがきちんと決められている小学校では、さらに事態は深刻だ。昔も、入学式の最中に椅子の上に立ち上がり、父兄席を眺めては「絶景かな」とやっているわんぱく坊主はたまにいた。しかし最近の入学式では、それが一人や二人ではないという。授業中も、勝手に席を離れて歩き回る子どもを注意していると、別の子どもがウロウロしはじめる。「昔の小1は、こんなではなかった」と嘆くベテラン教師は多い。学級崩壊は、2,3人の落ち着きのない子どもの存在がきっかけになると言うが、現代の子どもは全体的に落ち着きに欠ける傾向があるという。
 「子どもとは、本来落ち着かないものだ。落ち着いている子どもの方がおかしい」「子どもの自由な発想や行動を、大人の一方的な考えで管理しようとするのは間違いだ」。そう思う方もいるだろう。小学校の教師をしていた頃、私もそのように考えていた。しかし、最近の子どもの落ち着きのなさは、少し様子が違うのである。
 昔の子どもは、何か興味を惹かれる物を見つけ、それで体が動いてしまう場合が多かった。しかし今の子どもは、さしたる目的もなく、暇つぶしがてらにフラフラとさまよい出てしまう感じなのだ。注意すると、いったんは席に着くが、また夢遊病者のように歩きだすことも多い。無自覚のうちに体が動き出すかような独特の感じに、現場のベテラン教師たちも戸惑いを隠せない。いったい、これは何を意味するのだろうか。

 ある時、小学校への入学を直前に控えた幼稚園の子どもの相談を受けた。「極端に落ち着きがないので、入学後が心配だ」という。利発な子どもで、初対面の私に対して、やれムシキングがどうの、ポケモンがどうのと、盛んに話しかけてくる。「あ、それ知ってる」などと相づちを打ってやっていたが、こちらの問いかけに応じないうちに、もう次の話題に移ってしまう話しぶりが気になった。そのうち、部屋に置いてあったおもちゃで遊び始めたが、次から次へとおもちゃを取り替え、ちっとも落ち着いていない。幼稚園でもこんな調子で、自由遊びの時はまだよいが、みんなで一斉に活動をする時なども、自分勝手な行動ばかりだという。
 こういうタイプの子どもは、一見リラックスしているように思われるが、実は、体の緊張レベルがとても高いのだ。絶えず動き回ったり、しゃべり続けたりするのは、それによって緊張した体の不快感を紛らわせようとしているふしがある。極端にくすぐったがりな子が多いのも、体が緊張しているからだ。こういう子どもが、カウンセリング的なやりとりを通して、本当のリラックス状態を経験すると、自然に落ち着きが出てくる。また、妙にくすぐったがることもなくなっていくのだ。

 愛媛県で「なのはな子ども塾」を主宰する松田ちからさんは、子どもたちの体の過緊張に着目し、ゆったりとした働きかけによって体の緩みを促す“ゆらゆら・ぎゅっぎゅっ体操”を考案した。そして、愛媛大学大学院の現職教員対象の専攻科で学んだおり、小学3年生のクラスで、約9ヵ月間にわたり、“ゆらゆら・ぎゅっぎゅっ体操”を試行し、追跡調査を試みた。その結果、ほとんどの子どもに落ち着きが出てきたという。また、学習に困難を示す子どもの中には、学習の内容が分からなくても、教師にノートを見せることを拒む子が多くいた。しかし体が緩んでくると、わからない時には「教えて」と積極的に助けを求める子どもが増え、最善を尽くそうという意欲が感じられるようになったという。

 栃木県宇都宮市にある「さつき幼稚園」では、1980年頃から、“じゃれつき遊び”を取り入れて効果を上げているという。子ども同士で、思う存分じゃれあって発散させると、その後の活動に落ち着いて取り組むことができ、意欲的になるのだそうだ。
 大人の場合は、マッサージに行ったり、温泉にのんびり浸かったりすると、体の過緊張が緩和される。しかし子どもの場合は、大声をあげたり、体全体を激しく動かしたりして発散した方が、リラックスできるのだ。“じゃれつき遊び”で大騒ぎをした後の方が、心と体がほどよく緩み、落ち着いて活動できるようになるのもうなずける。

 “ゆらゆら・ぎゅっぎゅっ体操”で、ゆったりと大人に体を預ける体験は、親に甘えて抱っこをされた時の感覚とよく似ている。“じゃれつき遊び”による大騒ぎは、ダダをこねる時の気持ちの発散と通じるものがあるだろう。
 「落ち着きのない子どもが増えている」という状況の背景には、体の過緊張があり、さらにその根っこには、甘え下手・ダダこね下手による感情抑圧傾向が大きく影を落としているのである。

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(1)甘え下手で、勉強が進まない小学生

 小学校教師をやっていた経歴から、時々、小学生の勉強について相談を受けることがある。その多くは、親が教えても上手くいかない、家庭教師に頼んでもお手上げ状態という、一筋縄ではいかない子どもたちである。
 いわゆる“教育ママ”などではなく、「その子なりのペースで、分相応の学力さえついてくれれば」という考えの、きわめて常識的な親たち。できそうな程度のやさしい問題からやらせてみる。叱らないように、根気強く教えていこうとする。それにもかかわらず、2、3問ですぐにあきてしまい、悪ふざけを始める。ちょっと注意すると、すぐに怒り出す。その繰り返しだ。
 勉強が苦手なだけなら、まだ理解できる。しかし、いつも力を出し切る前に、やる気を失ってしまうのだ。「どうすれば、やる気を出してくれるのでしょうか?」という相談である。

 ある時、相談室を訪れたのは、小学2年生の子どもだった。特に引き算が苦手だという。どの程度なのか、試しに、1年生の最初に習う一桁同士の簡単な引き算をやってもらうことにした。「できそう?」と尋ねると、「だいじょうぶ。これぐらい簡単!」とやる気満々だ。鉛筆をギュッと握りしめ、息を詰めながら、3問続けて解いたが、4問目で動きが止まった。
 一桁同士の引き算とはいえ、苦手な子にとっては、微妙な難易度の差がある。4問目は、少し難易度の高い問題なので、このあたりから理解が曖昧になっているのだろう。そこで私は、「ちょっと難しいかもね。ヒントをあげようか?」と声をかけた。しかし子どもは「だいじょうぶ」と言う。ところがやがて、問題をそのままにして、筆箱の中をゴソゴソいじりだした。「やっぱり、難しい? だったら、ヒントをあげるよ」と言っても、こちらに目を向けず、筆箱をいじり続ける。なおもしつこく私が話しかけると、「もう、やらない!」と言って、プリントを投げ捨てた。
 「いつもこんな調子なんです」と、困惑顔の母親。叱ると、「どうせ僕はバカだから!」と叫び、自分の部屋に閉じこもってしまうのだという。

 昔の「できない子」はこんな感じではなかった。勉強嫌いの子どもは、出された問題に愛想良く取りかかったりしなかった。苦手な問題であれば、安易に教えてもらおうとした。「最近は、プライドが高すぎる子どもが多い」と言われるが、確かに、そういう見方もできるだろう。「できない」という自分の弱みを見せたくないし、人に助けを求めることも悔しいのだ。そこには、「泣かない赤ちゃん」や「甘えようとしない幼児」と同じような、“我慢の構図”がある。自力でやらねばならぬと無理をするからストレスが溜まり、かえって勉強への意欲を失ってしまうのだ。

 このような子どもは、“自立”を促そうとすると“孤立”に陥り、“集中力”を鍛えようとすると“過緊張”になってしまう傾向がある。こんなタイプの子に必要なのは、むしろ“依存”や“弛緩”なのだ。そこで母親に、こういった心のメカニズムを説明し、「親に甘える」ことを促すようなカウンセリング的なやりとりを優先させていくことにした。
 やがて、硬かった子どもの心がほぐれてくると、「引き算をやろう」という誘いにすぐには応じなくなり、「嫌だ」とか「難しい」とか、グズグズと不平を漏らすようになってきた。このようにダダをこねられる子どもは、心のガス抜きができ、不安が解消されやすくなるのだ。ある程度ダダをこねさせた後で、まあまあとなだめると、しぶしぶやり始める。しかし不安を無理に抱え込んでいないので、肩の力がほどほどに抜け、息を詰めている様子もない。リラックスできると、集中力が持続しやすいのだ。
 難しい問題に当たると、気軽に質問してくる。説明してやると素直に聞き、「ああ、なるほど」と、また問題に向かう。さすがにそのうち飽きてきて、ふざけ始めることもあるが、少し相手をしてやると、「さあ、やらなくっちゃ」と、自ら問題に戻っていく。このように、「依存と自立」「弛緩と集中」のリズムが整っていくと、親が家で教える時も、やりとりがうんと楽になっていった。

 新人研修で、パソコンで注文書を作成するように言われた新入社員が、何もしないで、1時間もパソコンの前に座っていた。不審に思った先輩社員が聞くと、「やり方がわからない」と言う。「そういうときは、尋ねるんだよ!」と、先輩は呆れたそうだ。
 このような状況に、「マニュアル社会のせいだ」とか、「自立できていない」とかいう声がある。しかしここにも、甘え下手の構造があるのではないだろうか。“自立”や“集中”が足りないのではなく、“孤立”と“過緊張”がゆえに、力を出し切れないでいる若者が増えている気がしてならない。

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