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2007年9月9日 - 2007年9月15日

(3)“らしさ”が失われたわけ

 ある時、子育て支援の核として活動する方たちの、勉強会に招かれたことがある。出席者は、各地域の民生委員などをされている方たちで、年配のご婦人が多かった。そこでは、「この頃の若い母親は、母親らしくない」という意見が多く出され、特に座長役の女性は、ふんまんやるかたないという調子で自説を展開された。
 「最近のママさんたちは、その辺のオネエちゃんと見分けがつかないですね。母親としての自覚が欠けている。あれじゃあ、子どもがまともに育つわけはありません」「昔の父親は、一家の大黒柱として、もっとシャキッとしていたものですよ。今は、デレデレと子どもの言いなりになってるから、けじめのない子になってしまうんです。ねえ、先生?」。いきなり発言を求められ、私は慌てた。デレデレした父親の筆頭のような私としては、なんとも返答のしようがなかった。
 会のあいだ中、その年配の女性のシャキッと伸びた背筋と、迫力のある声には押されっぱなしだった。今年で67歳だというその女性は、今どきの若者よりも、よほど元気に溢れていた。昔だったら、とっくに「隠居暮らし」の年齢なのかもしれないが、今は「熟年パワー」の時代である。「年寄りは、おとなしく引っ込んでいる」というのは昔のイメージで、今どきの年配の方は、ステレオタイプな“概念規定”には縛られない人が増えてきた。引っ込みたい人は引っ込み、積極的に活動したい人は活動する。世間が決めた「年寄りらしさ」ではなく、「自分らしさ」が行動基準なのだ。素敵な世の中になったものである。

 「年寄りらしさ」が行動基準だった時代には、そこから逸脱する人には、「年寄りのクセに」という言葉が浴びせられた。「年寄りは、年寄りらしくしていろ」「年寄りのクセに、若い者のやることに口出しするな」と言い放つ政治家がいたとしても、今ほど大問題にはならなかっただろう。
 同じように、「男らしさ」「女らしさ」が存在していた時代には、「男のクセに」「女のクセに」という言葉も大手を振っていた。「貧乏人のクセに」「子どものクセに」といった言葉を口にする人も多かったはずだ。そのような時代においては、人を年齢や性別、財産の有無などで分けていくという「線引きの論理」が、空気のように存在していた。
 その後、この国は、「人を年齢・性別・財産・社会的地位などで判断しない」という方向に、ほんの少しずつではあるが、歩みを進めてきた。多くの人々の血のにじむような努力によって、「弱者の泣き寝入り」が徐々に改善されてきた。そして、それにともない、人々を隔てる「線引きの論理」としての「らしさ」が失われてきたのは、当然の流れなのだ。

 それは、「母親らしさ」「父親らしさ」についてもしかりである。「女として生まれたからには、結婚をして子どもを産み、子育てに専念するのは当然」「およそ男たるもの、嫁をめとり、子をなし財をなし、強くたくましい一家の大黒柱になるべし」。このような社会的通念が揺るぎないものであった時代には、古い因習を乗り越えて「より良い子育てのあり方」や「新しい子育てのスタイル」を模索しようとする親に対しては、すかさず周囲の人から横やりが入った。線引きの論理は、「それ以上を許さない」という強制力をもっていたのである。
 ところが逆に、社会的な暗黙の了解事項である「親らしい」役割を果たさない者に対しても、周囲の目は厳しかった。「母親らしさ」「父親らしさ」というステレオタイプの縛りは、「それ以下も許さない」という“安全弁”の役割も果たしていたのだ。

 「それ以上も、それ以下も許さない」という社会的なワクが緩むにしたがい、ひとりひとりの親の個性が、如実に子育てに反映されるようになるのは当然だ。自分の欲望のおもむくままに子育てをしようとする「下方向への逸脱」と、「自分らしい、より良い子育て」を模索して努力しようとする「上方向への逸脱」。良くも悪くも、個性的な子育てが可能な世の中になってきた。これが、「親のタイプの二極化」の原因なのではないだろうか。

 昔は、子どもが生まれた瞬間に、社会が用意する「母親らしさ」「父親らしさ」に知らず知らずのうちに取り込まれ、自然に母親・父親になることができた。しかし今の親たちは、子育てを進めていく中で、自分の努力で、「自分らしい母親像・父親像」を発見していかなければならないのだ。
 それにしても、年配者の目には、「今どきの若い親は、自由を満喫している」と映ることだろう。しかし、時として「自由であること」は、「不自由であること」よりも大変なのである。

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(2)「親になりすぎている」親

 女性でも、「子どもを作らない生き方」を選ぶ人が珍しくなくなってきた時代だ。それでも子どもを産み、母親になることを選択した女性たちだから、子育てに対する意識は高い人が多い。ところが、親である責任を感じすぎ、「良い母親になろう」と無理をしすぎて、深刻なストレスを溜めこんでしまうケースが増えている。
 親としての自覚が足りないのではなく、むしろ「親になりすぎている」母親たちだ。理性的に行動しようとするがあまり、どんなに疲れていても子どもの前では笑顔でいよう、腹が立っても怒らないようにしようと、自分の感情を無理に抑え込んで頑張ろうとする。ところが、溜めこみ続けたマイナス感情は、臨界点を越えると一気に吹き出てしまうのだ。これではいけないと、さらに感情を封じ込めようと頑張るので、どんどん泥沼に落ち込んでしまう。このような悪循環の末に、育児放棄や幼児虐待に至ったケースも多いのではないだろうか。

 このような母親にとって、「もっと母親らしくしなさい」「子どもを抱きしめてあげなさい」という言葉はつらい。まず先に抱きしめられるべきは、疲れ切った母親の方なのだ。周囲の人にしっかり支えられ、心を抱きしめられた母親は、必ずわが子を抱きしめることができるようになる。
 Sさんは、カウンセリングに訪れるたびに、苦しい胸の内を訴え、子どものようにおんおん泣いた。やがて、ご主人に対しても、苦しい気持ちを伝えられるようになった。すると次第に気持ちが楽になっていき、子どもにダダをこねられても、しつこく甘えられても、それほどイライラしなくなったのだ。

 Sさんほどではなくても、今の母親は、心に疲れを溜めこんでいる人が多い。
 子育て講演会で話をさせてもらった時、「頑張っているママたちへのプレゼント」として、簡単な実技をやってもらうことがある。母親同士で2人組になり、ひとりは座り、もうひとりはその後ろに立つのだ。そして後ろの人に、「前の人の肩の上を見てください。目には見えないけれども、そこに“親としての大変さ”がたくさん載っている感じでしょう? そのことを感じながら、『いつもよくやっているよ。あなたはステキなお母さんだよ』という思いを込めて、両肩にそっとふれてあげてください」とお願いする。前の人には目を閉じてもらい、ふれられている手のひらの暖かさを、じわっと感じてもらうのだ。次に後ろの人は、「よくがんばっているよ」と言いながら、前の人の頭をなでてあげる。
 このあたりまでくると、最初は照れていた母親たちも、あちらでひとり、こちらでひとりと、次々に涙を流しはじめる。人にふれてもらうと、きつく閉まっていた心の扉が開きやすくなるのだ。体験した母親たちは、「まさか、自分が泣いてしまうとは思いませんでした。自分が思っている以上に、心が疲れているのですね」と、みな一様に驚く。

 このような母親たちがいる一方で、大人としての自覚をもたない「親になりきれていない親」がいる。自分の感情のおもむくままに、勝手な行動を繰り返す親。このようなタイプの親に対しては、逆に、「親らしくしなさい」と、厳しく理性を促すことが必要なのだろう。
 テレビのドキュメンタリー番組で、「叱ってくれること」で有名な占い師の話題が取り上げられていた。「そうやってグダグダ言っていないで、やることやるのっ! もっと、がんばりなさいよ!」と、こっぴどく叱られて涙を流す女子校生は、その日が3回目の来訪だという。「親以上に親身になってくれるんです。うちの親は、叱ってくれないから」というその子の言葉に、なるほどと思った。
 子どもも、大人も、優しく受けとめてもらうことによって実力が発揮できるタイプと、厳しく迫られることによってハッと気づき、理性が働きはじめるタイプの人がいるのだ。

 「親になりきれない親」と「親になりすぎている親」の二極化。このことは、幼稚園や保育園でも、学校でも、現場の先生たちの悩みの種だという。子育て講演会を開いても、来なくても大丈夫な親ばかりが出席し、「話を聞いて反省してほしい」と思うような親は、なかなか来てくれない。「子どもの気持ちを受けとめてあげて」と配布物で呼びかけると、読んでほしい親には無視され、その一方で、過剰反応してしまう親がいる。
 政府や地方自治体が、「子育ての手引き」のような物を配布したとしても、同じような状況を招いてしまうことは想像に難くない。二極化の時代には、親全体を対象とした子育て支援策ではなく、ひとりひとりの親の個性に寄り添える、草の根的な子育て支援策が必要なのだ。

 「それにしても、今どきの母親は、なんと手間がかかることか」と嘆く人もいるだろう。身勝手な親には、「昔の母親は、もっと母親らしかった」と言いたくなるし、気にしすぎる親には、「今の若い人はひ弱すぎる。昔の母親はもっとデンと構えていたものだ」と嘆きたくなるかもしれない。
 しかし親のタイプの二極化は、若い人たちのせいではないのだ。それはいわば、前の世代の人たちが作り上げてきた、今の日本の社会状況、思考様式の変化の、当然の結果なのである。

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(1)「抱きしめてあげて」というCMの功罪

 幼い子どもを車内に閉じ込めたまま、パチンコに興じ、熱射病で死なせてしまった夫婦。泣き声がうるさいという夫に言われるがままに、赤ん坊を簡単に“始末”してしまう母親。最近は、耳を疑いたくなるような事件が多すぎて、どの事件がどれだったか、思い出せなくなるほどだ。
 事件にまで発展するのは、ほんの氷山の一角にすぎないだろう。子どもにカップラーメンしか食べさせない親。車のローンを優先させ、子どもの給食費を滞納する親。大人としての自覚のない親が、今のこの国にはたくさんいるらしい。

 『抱きしめる、という会話』という公共広告機構のCM(2003年)が、話題になったことがある。「自分の子どもなのに愛し方がわからない。まず、子どもを抱きしめてあげて下さい。ちっちゃな心は、いつも手を伸ばしています」というメッセージは、当時、多くの人の共感を呼んだ。子どもに愛情を注ぐということは、そんなに難しいことではない。ちょっとした心がけで、育児放棄や幼児虐待は防げるのだという趣旨だろう。
 ところが、あのCMを見て、ますます苦しい思いを抱え込んでしまった母親たちがいた。「わが子を叩いてしまう」と相談に訪れたSさんも、その一人だった。

 2歳の息子の口ごたえが許せない。特に、「ママ、きらい!」の一言が引き金になることが多く、いつも手が出てしまった後で、はっと我に返る。そして、泣きだした子どもをよそに、布団をかぶったまま、自己嫌悪でもんもんとしているのだという。
 「大人げのなさに、自分でもあきれてしまいます」と苦笑いするSさん。表情を見る限りでは、それほど深刻に思いつめている様子はない。しかし、子どもを叩く回数が日ごとに増えていることを思うと、やはり“幼児虐待予備軍”と言える。
 もともと、あまり子ども好きではなかったそうだ。それが、赤ん坊が生まれると、可愛くて仕方がなかったという。ところがハイハイが始まり、いたずらをするようになった頃から、怒りが抑えられなくなってきた。これではいけないと、育児書を読みあさって努力してみたが、よけいにストレスが溜まり、怒鳴ることが増えてしまったという。
 「書いてあるのは、すべて、もっともなことなのです。他の母親だったら、当たり前にやれているようなことばかり。でも私には、それができない。そう思うと、ダメな自分が責められているようで、読めば読むほど苦しくなってきました」とSさん。

 育児書ばかり読んで、頭でっかちになるからいけないのだ。もっと肩の力を抜いて、楽な気持ちで子育てをしていけばよいのだ。そう思う人もいるだろう。実際、Mさんも、周囲の人から、そのようにアドバイスされた。しかしMさんは言う。「でも、ダメなんです。肩の力を抜こうと思っても、つい力が入り、いろいろと考えすぎてしまって…。自然体になれないところが、私の一番の問題なのかもしれません」。
 なにもかも、よくわかっているのだ。なのに自分の気持ちが抑えられない。思いあまって、心療内科を訪ねたことがあった。簡単に話を聞いてもらった後は、精神安定剤を処方された。だが、帰り際に言われた「まあ、気にしすぎないで」という一言に、打ちのめされたという。「気にしすぎるから、ダメなのだ」と責められたようで、1ヵ月ほど、気持ちが沈みっぱなしだったそうだ。

 いろいろ話をしているうちに、『抱きしめる、という会話』のCMの話題になった。その瞬間、Sさんの顔色がさっと変わったのだ。「気持ちが落ち込むと、子どもに寄ってこられるだけでイライラしてしまうんです。そこで抱きしめてあげればいいということは、よくわかっています。でも、突き飛ばしたい気持ちを必死に抑えながら、『あっちに、いってて』と言うのがやっと…。あのCMを見るたびに、つらくなります」。Sさんは、苦渋に満ちた表情をさらけ出した。にこやかな表情は見せかけで、本当は、そうとう追いつめられていたのだ。

 そんなSさんに、私はこう声をかけた。「一生懸命やってきたのにね。本当はお子さんが大好きで、抱きしめてあげたいのにね…。でも、そうしてあげられないなんて、苦しいね」。Sさんの目から、ボロボロと涙がこぼれた。

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(4)眠れない子どもたちのからだ

 子どもの就寝時間は、年々、確実に遅くなっている。日本小児保健協会の調査によると、夜10時以降に就寝する5~6歳児は、1980年に10%だったのが、90年は17%、2000年には40%に達したそうだ。大人社会全体が夜更かしになっている影響や、TVゲームなどで脳の興奮状態が高まっていることなどが原因とされることが多い。大人とは違い子どもの場合は、心身ともに発達途中にあるのだから、その影響が懸念されるだろう。実際、幼稚園や小学校などで、朝から大あくびでぼおっとしている子どもが目立ってきているという。文部科学省もこの事態を重要視し、子どもが望ましい生活習慣を身につけるため、「早寝早起き朝ごはん」運動を提唱している。
 ある小学校の“夏休みのしおり”を見せてもらうと、「毎日、ロックのリズムで」と書いてあった。「6時に起きて、9時に寝よう」ということなのだそうだ。しかし昔は、「子どもは8時に寝る」というのが常識だったように思う。わが家では、毎週金曜日だけは、『ディズニーランド』という午後8時から9時までのTV番組を観ることが許されていたが、子どもの私は途中で寝入ってしまい、最後まで観られないことも多々あった。しつけ以前に、昔の子どもの体には、夜更かしができないような自然なリズムが備わっていたのではないだろうか。

 落ち着きがなく、聞き分けが悪くて困り果てているという4歳の子どもの相談を受けた。ふだんの様子を聞いたり、実際に子どもとやりとりをしてみると、例によって、平気な顔をして、気持ちを溜め込んでしまっている傾向が見られる。そこで、気持ちの発散を促すやりとりをしてみたところ、30分ほど大暴れ、大泣きをした後、母親の腕の中でストンと寝てしまった。揺すぶってもぴくりともしないほどの熟睡ぶりに、母親は驚いた。神経質で、ふだんは寝つきがとても悪いのだそうだ。眠りも浅く、ちょっとした物音でもすぐに目覚めてしまうという。ましてや、よその家で寝てしまうようなことは、まずないそうだ。
 このようなことは、珍しいことではない。気持ちを溜め込んでしまい、体が過緊張状態にある子どもは、気持ちを吐き出してしまうと、一気に体が緩んでいく。その結果、あっという間に眠ってしまう子どもも多い。つまり寝つきの悪さは、感情抑圧による体の過緊張状態が原因となっているふしがあるのだ。

 相談室を訪れる子どもには、睡眠に関する問題を抱えている子どもも少なくない。
 ある子どもは、寝る前になって、いつもかんしゃくを起こすという。眠りが浅く、夜中に急に飛び起きて、暴れだす子どももいる。われわれ大人も、昼間は忘れていた心配事を、夜、床についてから思い出し、眠れなくなることがある。夜は、心の奥に押し込めていた感情が浮上してきやすいのだ。
 別の子どもは、寝る時間になると、急におもちゃで遊びはじめ、いくら注意してもやめようとしないという。眠そうな顔をしているのに、「眠くない」と言い張り、限界までがんばり続けたすえ、おもちゃを持ったまま眠りに落ちるのだそうだ。自然な眠りのリズムにゆったりと身を任せようとしないさまは、母親の抱っこに身をまかせない赤ちゃんを彷彿とさせる。実際、このような子どもたちは、「眠い」とぐずって母親にまとわりつくことが少ない。また、添い寝をしてやっても、母親と距離を置きたがったり、背中を向けて寝るような傾向がある。
 ところが甘え上手になってくると、眠くなった時、しっかりと母親にまとわりついてくるようになる。また、寝つきがよくなったり、ぐっすりと眠れるようになってくるのだ。

 このように、睡眠に関して特に困った問題を抱える子どもは、割合的には少ないだろう。しかし、それは氷山の一角なのだ。子どもの就寝時間が遅くなっている原因の一つに、子どもたち全体に感情抑圧傾向が高まっていて、体の緊張レベルが上がっていることが考えられるのではないだろうか。だとすれば、「ちゃんと寝なさい!」と、寝ることに対して努力を強いるような接し方は、逆効果になってしまう。努力や頑張りは、体の緊張レベルを上げることに繋がるからだ。「頑張ってリラックスしなさい」という要求は、それ自体が矛盾している。
 大人社会でも、年々、不眠症が深刻化している。3人に1人が睡眠障害に悩んでいると言われるアメリカでは、睡眠改善薬、サプリメント、寝具、照明器具などの“快眠産業”が活況を呈しているそうだ。日本でも、4人に1人が何らかの睡眠障害を抱えていると言われ、近い将来、“快眠市場”は3兆円規模に膨れあがるだろうと予測する人もいる。様々な努力によって快眠を得ようと四苦八苦する大人たち。その方向性が正しいかどうかは、子どもたちの現状を観察すれば、はっきりとわかるのではないだろうか。

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