カテゴリー「■第1章 いま、子どもたちに起きていること」の記事

(7)我慢が裏目に出る構図

 横浜市金沢区で「池川クリニック」を開業する産婦人科医の池川明さんは、大勢の母親の協力を得て、子どもの「胎内体験」を研究している。その内容は、『ママのおなかをえらんできたよ。』(リヨン社)、『赤ちゃんと話そう! 生まれる前からの子育て』(学陽書房)など多くの著書で公開されているが、それによれば、母親の胎内にいた時に見聞きしたことを記憶している幼児がたくさんいるという。
 多くの母親が“胎教”に関心を寄せるのも、「お腹の中にいる赤ちゃんでも、話しかければちゃんとわかる」という考え方が広がっているからだろう。実際、「この日に生まれてきて」と、お腹の赤ちゃんにお願いしたら、希望した日に生まれてきたというような話も、いたるところで聞くようになった。
 だとすれば、生まれたばかりの赤ちゃんが、母親を気遣って、泣いたり甘えたりすることを我慢することもあり得るだろう。ただ私としては、そういう話を聞いても半信半疑だった。ところが、ある時、その考えを修正せざるをえない出来事に遭遇したのだ。

 子育て相談を始めて5年ぐらい経った頃のこと、7ヵ月の赤ちゃんのかんしゃくがひどいと相談にみえた親子がいた。私の顔を見て、赤ん坊はすぐに泣き出したが、ギャーギャーという苦しそうな泣き声で、喉に力を入れて泣くことを止めようとしているのが見てとれた。母親が気にしていたのは、産後しばらくの間、自分がうつ状態になっていたことだった。最低限の世話をする以外は、赤ん坊の顔を見る元気も出なかったそうだ。そのことで、子どもの心を傷つけてしまったのではと、母親は心配していた。
 母親がその話題にふれた時、明らかに子どものギャーギャーという声が大きくなった。やはりそうかと、肩を落とす母親。そこで私は、なにげなく、赤ん坊に語りかけてみたのだ。「ママが元気がなくて、心配だったね。それで、ずっと泣くのを我慢してくれていたんだね。でも、もう、ママは大丈夫だよ。もうママに甘えてもいいんだよ」。すると不思議なことに、赤ん坊の体の力がすっと抜け、ふぇーんという甘えた泣き声に変わったのだ。思わぬ展開に母親は驚いたが、それ以降、かんしゃくは収まり、可愛い甘え泣きが増えていったのだ。
 その後、似たようなケースに何度も遭遇した。現在では、育てにくい赤ちゃんが連れてこられた時には、母親に「甘えることを我慢してしまう赤ちゃん」の話をして、効果をあげている。最初は半信半疑の母親も、試しに赤ちゃんに語りかけてみると、明らかな反応があるので、みな一様に驚くのだ。

 「友達の輪に入っていけない」という幼稚園児の相談を受けたことがある。先生に促されても、友達に近づこうとせず、身を硬くしたまま指をしゃぶるばかり。登園時も、家に帰ってからも、指しゃぶりはどんどんエスカレートし、皮膚がふやけて血が滲むほどだという。
 生育歴を聞いていく中で、母親が断乳の時のことに触れたとたん、子どもの顔色がわずかに変わった。何か関連があるのではと詳しく話を聞こうとすると、母親は怪訝な顔で、「断乳はすんなりいったので、無関係だと思うのですが」と言う。その言葉を聞いて、子どもはさっと指をくわえた。ますます関係がありそうな気がした。
 指しゃぶりは、吹き出しそうになるマイナス感情を我慢しようとする時に見られる行動だ。断乳と入園は、どちらも「母親から離れる」という通過儀礼と言える。この子どもにとっては、“口”が、母親と別れることの寂しさの象徴になっているではないだろうか。断乳がすんなりと実行できた子どもの中には、おっぱいとの別れの寂しさを我慢して、かえってその感情を抱え込んでしまっているケースも多いのだ。
 この子どもの場合も、「おっぱいとバイバイするのは、寂しかったねえ。寂しい時は、ひとりで我慢しないで、ママのところで泣いていいんだよ」と母親が慰めると、大きな反応があった。そのような関わりを続けるうちに、登園時に泣きべそをかくようになったが、指しゃぶりは激減した。そしてほどなく、落ち着いて登園し、友達の輪にも積極的に参加するようになったのだ。
 断乳は、母親の体調が思わしくなかったための苦渋の選択だったという。「今にして思えば、私のことを気遣って、我慢していたのですね。その時は平気そうに見えたので、そんな気持ちだったとはまったく気づきませんでした。可哀想なことをしてしまいました」と母親は述懐した。

 育てにくい子どもは、赤ちゃんの頃、「妙におとなしい」か、「ギャーギャー泣いてばかり」だったというケースが案外多い。だとすれば、感情抑圧的な傾向の端緒は、実は赤ちゃんの時期から始まっていたと考えられるのではないだろうか。

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(6)“仮面”をかぶった子どもたちの葛藤

 小学生の子どもをもつ母親から相談を受けた。2年生になって、急に家で暴れるようになったという。大騒ぎをしたあげくに、「ママを刺す!」と叫び、台所から包丁を持ち出すという出来事があった。その時は、なんとか説得して事なきを得たが、今後のことを考えると不安でしかたがないという。そこで親子で来てもらい、じっくりと話を聞くことにした。

 会ってみると、ごく普通の子どもで、ごく普通の母親だった。話を聞く限りでは、今までの育て方に、特に問題があったとは思えない。ただ、「赤ちゃんの時はおとなしく手がかからない子で、今まで反抗期らしい反抗期もなかった」という点が、少し気になった。
 学校での様子を尋ねると、「元気に頑張っている」という。ところが、その母親の言葉に、子どもの顔が一瞬こわばった。そこで、学校での状況をさらに詳しく聞こうとした時、子どもが暴れだした。そして、「ママをぶっ殺す!」と言いながら、母親に殴りかかろうとしたのだ。
 とっさに私は、子どもの手を押さえ、暴れる子どもともみあいになった。「ぶっ殺す!」と叫び続ける子どもとの取っ組み合いが、しばらく続いた。ところが、ふとしたはずみから、私の手が子どもの顔に当たった瞬間、子どもは、それまでのドスのきいた声から一転し、「ママ、ママぁーっ」と赤ん坊のような甘え声で、母親に泣きついた。そして母親にしがみついたまま、ひとしきりワァワァ泣いた後、そのままコトンと眠ってしまったのだ。

 3歳前後の反抗期の子どもは、自分の非を、「ママのバカ!」と母親のせいにしてダダをこねることがある。これは、自立への不安が自己否定に結びついてしまうことを回避するための、心理的な防衛のメカニズムだ。この子の「ママをぶっ殺す!」は、学校の活動に自信をもって参加できない「自分自身へのいらだち」の反映であることが、あとになってわかってきた。溜めこんだ末の大爆発になると、表現としてはすごいことになるが、それも「遅ればせながらのダダこね」にすぎないのだ。
 寝てしまった子どもの体をなでながら、母親は言った。「こんなふうに素直に甘えてきてくれたことは、今まで、ほとんどありませんでした。この子なりに、いろいろ我慢していたのですね」。小学生らしからぬ赤ちゃんのような泣き声は、赤ん坊の頃から「仮面」の陰で抱えていた気持ちを、やっと表現することができたからだろう。
 このことをきっかけに、この子はだんだん母親に甘えられるようになり、そして学校でいかに緊張するかを、母親に打ち明けるようになった。そのぶん、家で暴れることも少なくなっていった。
 ある日、車を運転する母親に、後ろの席から子どもが話しかけた。「ママ、こんな時にしか言えないんだけど…」と、子どもは口ごもりながら言った。「ママ、ボクを産んでくれて、アリガトウ」。その日はちょうど、その子の誕生日だったのだ。母親は、ハンドルを握ったまま涙が止まらなくなり、困ってしまったという。

 心の深い部分が明らかになってくると、「仮面」をつけてしまう子どもには、親思いの子がとても多いことに驚かされる。
 前出の、幼稚園で乱暴が止まらなかった子どもも、入園と母親の出産が重なっていた。しかし、下に兄弟が生まれた時にありがちな“赤ちゃん返り”のようなこともなく、赤ん坊を可愛がる「良いお姉ちゃん」だった。それでも、カウンセリングの中で母親が、「本当は寂しかったね。でも、ママが大変だと思って、我慢していてくれたんだよね」と慰めると、ウンと小さくうなずき、赤ちゃんのようにしくしく泣いた。
 「急にキレる」という子どもの場合も、母親が風邪で寝込んだ時など、ずっと付き添って看病しようとしたり、夫婦げんかの時は母親の味方になって、父親を叩きにいこうとするなど、とても母親思いの子だったのだ。

 この「母親思い」という性格が、「仮面」をつけてしまうことと、深く関係しているように思えてならない。
 子どもに泣かれたり、ダダをこねられたりして、喜ぶ親はいない。しつこく甘えられることも、負担に思うことが多いだろう。だからといって、ふつう子どもは、親に遠慮をしたりはしない。ところが、生まれつき感受性の高い子どもは、親の気持ちがわかりすぎ、親に負担をかけまいと、無理にホンネの気持ちをしまい込んでしまうのではないだろうか。そう考えると合点がいくケースが、長年、多くの相談を受けていると、あまりにも多いのである。それは、赤ちゃんの場合も例外ではない。

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(5)愛させてくれない赤ちゃん

 私のもとに相談に訪れる母親は、それまでにも、周囲の人からいろいろとアドバイスを受けていることが多い。子どもの成長につまずきがあった時、まず一番に疑われるのは、親の愛情不足だ。十分甘えさせてやりさえすれば、それなりに成長していくのが子どもというものである。そのように指摘され、異を唱える母親はいないはずだ。
 子育てに悩む多くの母親は疲れ切り、子どもに心からの愛情をもてなくなってしまっている。だから「愛情不足だ」と指摘されても、返す言葉がない。

 「困った子どもなので、愛情が薄らいできてしまった」というのだったら、まだ同情の余地はある。しかし、「もともと愛情が不足していたから、子どもの育ちに問題が出てきた」という場合は、母親の責任以外の何ものでもないだろう。しかし後者のようなケースは意外に多いのだ。
 ある母親は告白する。「保育士をやっていて、もともと子どもは大好きでした。出産も心待ちにしていたのですが、なぜか、生まれてきた赤ちゃんが可愛く思えなくて…。この子が手に負えないいたずらを繰り返すのは、きっと私の愛情が足りなかったせいだと思います」。
 出産直後の母親は体調が不安定だ。同時に、精神的にも不安定になる。いわゆる「産後ブルー」(産後うつ)である。しかしほとんどの場合は、体調が回復するにつれて気持ちも落ち着いていき、子どもに対する愛情が生まれてくる。だとすればこの母親の場合は、産後ブルーによる挫折感から立ち直れなかったことが原因なのだろうか。
 ところが母親の側ではなく、赤ちゃんの方に問題がある場合がある。「母親の愛情が育ちにくい」タイプの赤ちゃんが増えているのだ。そのようなケースでは、母親の産後ブルーが深刻化しやすい傾向がある。

 ひとつは、おとなしすぎる赤ちゃん、いわゆるサイレント・ベビーだ。おっぱいを要求する以外は、ほとんど泣くこともなく眠ってばかりいる。母親がかまってやらなくても、一人で機嫌よく遊んでいたり、母親の姿が見えなくなっても平気だったりする。最初のうちは楽でいいと思うのだが、そのうち、「子どもにとって私は、いてもいなくてもよい存在なのだろうか」と感じはじめ、空しさに襲われるようになる。赤ちゃんの世話は大変だが、自分を必要としてくれる存在だからこそ、愛おしく感じられるようになるのだ。
 もうひとつのタイプは、反対に、異常なほど母親から離れられない赤ちゃんだ。目覚めているうちは、少しでも下に置いたとたん、悲鳴のような声で泣き続けるので、絶えず抱っこかおんぶをしていなくてはならない。寝つきが悪く、やっと寝たと思っても、小さな物音ですぐに起きてしまい泣きわめく。母親は、片時も気が休まる暇がない。毎日の世話に疲れ切り、愛情が育つ余裕すらもてなくなるのだ。
 この2つのタイプの赤ちゃんは、前項でふれた「めったに泣かない子ども」「ギャーッという異様な声で泣き続ける子ども」という、幼児に見られる両極端と酷似していることに気づかれただろうか。
 母親を呼ぶ可愛らしい甘え泣きに応じ、抱き上げてあやしてやると、満足して落ち着く赤ちゃん。この繰り返しの中で、子どもに対する母親の愛情は開花していく。愛情が育つためには、赤ちゃんからの協力が必要なのだ。

 このような赤ちゃんは、抱いた時の様子にも特徴がある。
 ふつう赤ちゃんは、抱いてやると、母親に身を任せてくる。生まれて間もない赤ちゃんであっても、母親が抱く動作に対して、ごく小さな動きではあるが、それと呼応する動きをする。赤ちゃんを抱いた時に感じられる“一体感”が、母親の愛情をはぐくむのだ。
 ところが、「母親の愛情が育ちにくい」タイプの赤ちゃんは、抱いてやっても体に力が入ったままで、母親に身を任せようとしない。絶えずモゾモゾと落ち着かず、母親から目をそらすように体を反り返らせることも多い。いつまでたっても、ゆったりとした“一体感”を感じさせてくれないのだ。このような状態が続くと、それは母親の感情に微妙な影を落としていく。一緒にいても、「ここから先は母親を入れるわけにはいかない」と感じられるような心理的な壁が、子どもとの間に厳然と存在しているような感覚になるのだ。片思いが続くと、どう頑張ってみても、思いは冷めていく。

 このような赤ちゃんも、親子カウンセリングが進み、もつれていた糸がほぐれてくると、可愛らしい甘え泣きが増え、ゆったりと抱っこをさせてくれるようになる。抱きしめたわが子の、ぴったりとした感触を味わいながら、「こんなの、初めてです」と涙ぐむ母親も少なくない。

 このように、育て方のいかんを越えて見られる、子どもたちの感情抑圧的な傾向の裏には、どのような心理的なメカニズムが存在するのだろうか。

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(4)泣き声の変化が意味するもの

 「最近の子どもの泣き方は、昔とはずいぶん違ってきた」と感じている人は、案外、多いのではないだろうか。
 嬉しいにつけ、悲しいにつけ、感情をおおらかに表現する子どもが多かった時代には、豪快に泣き声を上げる子どもを、あちこちでよく見かけたものだ。ところが最近は、少子化の影響もあるのだろうが、泣いている子どもを見かけることが少なくなってきた。それでも、たまに大声で泣いている子どもを見るが、昔ながらの「うわ~ん」という豪快な泣き声ではなく、「ギャーッ」という悲鳴のような泣き声であることが多い。
 どちらも、うるさいことには変わりはない。しかしこの泣き声の質的な違いは、子どもの成長に大きな影響があるのだ。

 「急にキレてしまう」「落ち着きがない」「根気が続かない」「友達の輪に入れない」等々、私の相談室には様々な悩みが持ち込まれる。その多くは、「子どもだから仕方がない」「そのうちなんとかなる」という限度を超え、育て方をいろいろ工夫してみても、どんどん悪循環になってしまっているケースだ。そういった「育てにくい」子どもたちは、泣き方に共通の特徴がある。
 まず、めったに泣かない子どもが多い。転んだ時、親とはぐれた時、怖いめにあった時など、ふつうこの年齢の幼児だったら泣くだろうというような場面でも、妙に平気な顔でいるのである。
 また反対に、ちょっとしたきっかけで、ギャーッと絶叫するように泣きわめき、大暴れになる子どももいる。このような子どもが泣く様子をよく見ると、妙に喉に力を入れていることがわかる。これは、泣くことを止めようとしているのだ。ギャーッという異様な泣き声になるのはそのせいで、無理に我慢しようとするから、かえって長泣きになってしまうのだ。小出しのダダこねができない子どもが、かえってひどいダダこねになってしまうのと同じメカニズムが、そこにはある。
 しかし、こういった子どもたちも、わーんと豪快に泣いたり、ふえーんと甘えるように泣けるようになってくると、ほとんど例外なく、「困った行動」や「気になる様子」が改善されていく。これはいったい、何を意味するのだろうか。

 「泣くこと」に関する学術的な研究は、日本ではあまり注目されていないようだ。海外の例では、アメリカの生化学者、ウィリアム・フレイ二世(William H. Frey II)の研究がある。それによれば、「感情の涙には、ACTH(副腎皮質刺激ホルモン)が含まれており、それはストレスによって分泌されたホルモンだと考えられる。つまり泣くという行為は、体内に生じたストレス物質を排出するための重要な行為である」と報告されている。(『涙―人はなぜ泣くのか』ウィリアム・フレイ二世・著、石井清子・訳、日本教文社)
 無力な子どもは、大人以上に不安や恐怖を感じやすい。それにもかかわらず、大人ほど深刻なストレス状態に陥らないのは、考えてみれば不思議なことである。その裏には、泣くことによるストレス発散のメカニズムがあり、子どもが大人よりも泣きやすいのは、そのせいなのだ。
 迷子になった子どもは、親の顔を見たとたんにワッと泣き出すが、不安な状態が去ったのだから、泣く必要はないはずだ。しかしそれは、不安な気持ちを親に訴えることにより、心に溜まったストレスを吐き出す作業をしているからなのだ。

 かつてのような「泣き上手」「ダダこね上手」の子どもが減ってきている状況は、子ども全体に、感情抑圧的な傾向が進んでいることを物語っているのではないだろうか。それが、子どもの「ストレスの抱えやすさ」「ホンネの見えにくさ」の大きな原因になっているように思えてならない。
 これは、親の育て方のせいだろうか。ところが育て方うんぬん以前に、生まれた時からすでに感情抑圧傾向をもつ赤ちゃんの相談も増えている。そのような赤ちゃんの場合、成長の基盤である「親子関係」が成立しにくくなってしまうので、事態はさらに深刻だ。

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(3)“よい子”がキレるメカニズム

 「ささいなことで急にかんしゃく起こし、大暴れになって手がつけられない」という相談を受けた。3歳の男の子である。いわゆる反抗期には、子どもは、親の言うことを素直に聞かなくなるものだ。それは自然な成長過程であり、いちいち親が目くじらを立てていても仕方がない。ところが母親の話によると、その子のかんしゃくは限度を超えているらしい。
 機嫌よく食事をしていた子どもが、手を滑らせてスプーンを落としてしまったとする。呆然としている子どもに、「拾おうね」と何気なく声をかけると、急にギャーッと叫び声を上げ、食卓の上の物をグチャグチャにして暴れるのだという。
 しかし、理由もなしに、子どもがそんな状態になるとは考えられない。何らかのストレスを溜めこんでいるか、あるいは親のしつけ方に問題があるのではないか。そう思いながら、親子の来室を待ち受けた。

 「こんにちは。おじゃまします!」。顔を合わせたとたん、その男の子は、きちんと挨拶をした。そして、さっさと部屋に上がり、そこにあったおもちゃで遊びはじめた。面談中も機嫌よく遊んでいてくれたので、母親とゆっくり話をすることができた。
 「オリコウサンじゃないですか」と言うと、「ええ、そうなんですが…」と母親は浮かぬ顔だ。育児サークルなど外ではわりと機嫌がいいので、友人たちにも、「いい子じゃない。気にしすぎよ」と言われるのだという。ところが「魔の時間」がやってくるのは、たいてい家に帰ってからで、夕方から夜にかけてが危ないのだそうだ。
 面談の終了の時間が近づいた頃、子どもが母親のバッグを開け、お菓子を取り出そうとした。事前に、相談室での飲食は遠慮していただくようにと伝えてある。母親は、「お菓子は、お話が終わってからねって言ったでしょ」と、穏やかな口調でたしなめた。その瞬間、子どもはまわりにあったおもちゃを蹴散らし、大暴れを始めたのだ。一瞬のうちの豹変だった。
 「なにやっているの! だめでしょ!」と叱る母親。それでも子どもは暴れ続ける。気の毒になった私は、「じゃあ、少しだけ食べさせてあげたら」と声をかけた。ところが今度は、母親が渡したお菓子を部屋中にばらまき、さらに激しく暴れ続ける。「いつもこんな調子なんです。こんなふうになったら、もう何を言ってもだめで、30分や1時間は平気で暴れ続けます」と、あきらめ顔の母親。

 厳しすぎるわけでもなく、甘すぎるわけでもなく、ごく常識的に接している母親。それなのに、些細な理由で、異常なまでの激しいかんしゃくを起こす子ども。いったい何が原因なのか?
 実は私には、初めて子どもと顔を合わせた時から、だいたいの察しはついていた。
 「急にキレる」という子どもの生育歴を聞くと、もともとはとても過敏で恐がり屋だった子どもが多い。そういうタイプの子どもは、ふつう、初めての場所や相手には緊張するものだ。場合によっては、玄関先で「入らない!」とダダをこねたり、一人遊びにすぐあきて母親にまとわりつき、「おうちに帰る!」とぐずり始めることもある。しかしそれでも、なだめているうちに、なんとなく落ち着いてくるものだ。
 ところが、「急にキレる」子どもの場合、初めての場所や相手でも、妙に平気でいることが多い。しかし、その“仮面”の裏で不安と緊張を溜め続け、限界まで来ると、ささいな理由で大爆発を起こすのだ。日中、親が気がつかないうちに溜めこんだたくさんストレスは、夕方になって臨界点に達することが多い。
 幼児期において、早々と問題が表面化する子どもは、まだ運がよいのだろう。小学校高学年や中学生なって、やっと臨界点を迎えた子どもの場合、長年溜めこんだストレスの量は想像を絶する。それが一気に吹き出てくるのだから、周囲に及ぼす影響は深刻なものがある。

 親子カウンセリングを続けていくと、最初に子どもに現れる変化は、「小出しのダダこね」をするようになることだ。その場その場でのダダこねは、子どものストレスを発散させる。ひどいダダこねにはならないし、理由もわかりやすい。ストレスを溜めこんだ末の大爆発とは質的に異なる、「指向性のある表現行為」としてのダダこねなのだ。このような「リアルタイムの小さなダダこね」ができるようになると、急にキレるということもなくなってくる。
 もっとも、このように説明をすると大袈裟なことになるが、これは小さな子どもにありがちな「ごく普通のダダこね」だ。子どもは、親から教わってダダこねを覚えるのではない。それは、自然に出てくるはずの本能的な行動だ。それを、わざわざ親が引き出していかなければならないとすれば、大変なことだ。
 こういった、現代の子どもがもつ感情抑圧的な傾向は、「泣く」という行為にも表れている。

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(2)責任者は誰だ?

 青少年の凶悪事件が起き、今どきの子どもの“育ち”に世間の関心が集まるたび、必ず教育改革が話題となる。かつては、「学校での詰め込み教育が原因だ」と批判を浴び、“ゆとり教育”が打ち出された。それが昨今では、「学力の低下を招いた」と問題視されるようになってきた。そのたびに、現場の教師たちは右往左往する。

 1980年代に、中学校での校内暴力がピークを迎えた頃、私は小学校の教師をしていた。ある時、中学校の教師に、「小学校での指導に、問題があるのではないか」とぼやかれたことがあった。「今の中学生は、入学した時からすでに、昔とは違うやりにくさがある」というのが、その教師の言い分だった。
 1990年代に入り、今度は、小学校での学級崩壊やいじめの問題が深刻化してきた。そんな頃、一部の小学校教師の間では、「幼稚園での指導に原因があるのではないか」という声があがっていた。そもそも入学してきた時から、子どもの様子がおかしい。入学式の途中であきてしまい、椅子の上に乗って後ろを眺めだす子どもが一人や二人ではない。教室でも椅子に座っていられず、勝手に歩き回る子どもが大勢いる。昔の子どもは、こんなではなかった。
 現場の教師たちには、「学校教育が元凶だ」という声があがるたび、空しさを覚える。もちろん、学校の教育体制にも改善の余地はあるだろう。しかし、そもそもスタートの時点で子どもがおかしいのだから、原因は入学以前にあるはずだ。かくて、中学校の教師は小学校を疑い、小学校の教師は幼稚園や保育園のせいではないかと疑う。

 それでは子どもの変質の原因は、幼稚園や保育園の指導のあり方にあるのだろうか。幼稚園では、1990年代に、“自由保育”の考え方が急速に広まった。画一的なカリキュラムに縛りつけるのではなく、子どもの自由な発想や自主性を重んじようという指導方法である。「自由保育によって、しつけがおろそかになったから、小学校の教師が苦労するのだ」という声に対して、幼稚園のベテラン教師たちは言う。「入園の時から、昔の子どもとは違うので、私たちも苦労しているのです」。
 そもそも入園時から、従来のカリキュラムには乗ってこられない子どもが増えてきた。その状況に対応するための“苦肉の策”という側面が、自由保育全盛の陰にあるのだという。「今の母親は、昔とずいぶん変わってきましたからねえ。親の育て方が、一番の問題なのではないでしょうか」。
 かくして責任者捜しの矢は、中学校、小学校、幼稚園を経て、母親へと突き刺さる。子どもの変質の原因は、親の育て方にあるのだろうか?

 現場の教師たちが口を揃えて言うのは、親のタイプの二極化だ。昔も、それなりに無神経な親はいたし、神経質な親もいた。しかし大多数は、そのどちらの極端でもない“普通の親”だった。
 ところが今は、子どもに対する配慮に欠け、まるで自分が“子ども”のように傍若無人に振る舞う“とんでもない親”が確実に増えている。その一方で、子どもの一挙手一投足を気にしすぎ、親としての重圧にあえぐ“まじめすぎる親”も増えているのだという。
 “とんでもない親”の子どもに、様々な問題が生じてくるであろうことは容易に想像できる。それでは“まじめすぎる親”に対しては、「気にしすぎないように」とアドバイスしていれば、事足りるのだろうか。

 相談室を訪れるのは、子育てに行きづまっている現状をなんとか打開したいと思って来るのだから、大半はまじめな親だ。「気にしすぎ」の傾向をもつ親もいる。
 しかし、よく話を聞いてみると、大半のケースでは、「気にしすぎてしまうのも、無理もない経過」がある。つまり、親の育て方うんぬんの前に、もともと「育てにくい子ども」だったために、悪循環に陥ってしまったのである。

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(1)ジャイアンになれない「いじめっ子」

 昔、いじめっ子と言えば、ドラえもんに出てくるジャイアンのようなタイプの子だった。やることなすこと、がさつで自分勝手。「言うこと聞かないと、ぶん殴るぞぅ!」と脅しながら、周囲の友だちを従わせようとする乱暴者。
 しかし最近、「友だちに手を出して困る」と相談を受けるケースの多くは、ジャイアンとは正反対のタイプの子どもだ。もともとは臆病で神経質だった子が、ある時期を境に「いじめっ子」に豹変しまうのである。

 入園以来、友だちを引っかいたり、噛みついたりが止まらない子がいた。最初、先生は、「園に慣れてくれば、落ち着くはずだ」と思っていた。ところが何ヵ月たっても、いっこうに収まる気配がない。理由もなく突然手が出るので、目が離せない状態が続いた。
 母親もいろいろ努力してみた。優しく言い聞かせると、「うん、わかった。明日は頑張る」と言うのだが、次の日もまた事件を起こす。甘やかしすぎたかと思い、厳しく叱ると、チックや頻尿などの神経症状が表れ、突然夜中に飛び起きて泣き叫ぶこともあった。どこで育て方を間違えたのか、どうすればよいのかと、母親は困り果てた。

 神経が図太いジャイアンのような子どもならば、厳しくしつけていくしかない。しかし、「いい加減にしろ!」と叱っているうちに、年齢が上がって分別がついてくると、次第に落ち着いていくものである。
 しかし繊細な心を持つ子どもは、強く叱ると一気にストレスが溜まり、様々な神経症状が出てきやすい。かといって、事の善悪を教えようとしても、変化が見られないことが多い。それは子どもも、「やってはいけないこと」と頭ではよく分かっているからだ。
 ではいったい、どのように接していけばよいのか。そのヒントは、親子と面談する中で見つかった。

 母親の話によれば、赤ん坊の頃から過敏な子どもだったそうだ。人見知りがはげしく、公園デビューもままならなかった。幼稚園へあがる時も、友だちになじんでいけるだろうかと気を揉んだ。ところが、入園早々あっけなく母親から離れ、拍子抜けしたという。
 母親がそこまで話した時、それまで横でおとなしく遊んでいた子どもが、突然おもちゃ箱をひっくり返し、その後はまた、何ごともなかったかのように遊び続けた。その様子を見て、「今の母親の言葉に、解決への糸口が隠されているのだな」と私は感じた。
 友だちに手を出してしまう理由を聞いても、子どもは簡単には教えてくれない。なぜ自分がそうしてしまうのか、子ども自身もはっきり分からないでいる場合もある。ところが、子どものちょっとした動きに、子どもの深い気持ちが表れることが多い。おもちゃ箱をひっくり返すという行為に、私は子どもの怒りやいらだちを感じ、解決へのヒントを見た。

 ふつう、友だちに対して不安を持つ子どもは、母親から離れるのを嫌がったり、先生にしがみついたまま友だちに近づこうとしなかったりする。しかし、そうやって不安を訴えられる子どもは、だんだんに落ち着いていくのだ。
 ところが、平気な顔で不安を抱え込んでしまう子どもは、ちょっとしたきっかけで不安が恐怖に変わり、衝動的に手が出てしまう。「攻撃は最大の防御」なのだ。昔のいじめっ子は、暴力によって友だち関係を作ろうとした。しかし、今の「いじめっ子」は、暴力によって友だちを近づけないようにしているのだ。
 この子の場合、登園時に母親と離れる際にベソをかいたり、友だちに近づこうとせず先生にしがみついたりといった行動ができるようになってくると、友だちに手を出さずに済むようになった。半年もすれば、友だちと仲良く遊ぶ姿が見られるようになった。

 個性をむき出しにする子どもが多かった時代には、悪ガキがたくさんいた。「いい加減にしろ!」と、子どもをぶっ飛ばさなくてはならない母親も、今よりもたくさんいたのではないだろうか。しかし、ぶっ飛ばしていれば事足りていた時代は、今にして思えば、親子ともども幸せな時代だったのだ。
 繊細な個性を隠すために、「母親と離れても平気な子」「友だちに手を出すいじめっ子」という“仮面”をつける子どもたち。“仮面”を“本来の個性”と勘違いして接していると、どんどん悪循環に陥ってしまう。ほんの小さいうちから、子どもの“ホンネの気持ち”が見えにくくなってしまっていることが、今の「子育ての大変さ」の大きな要因の一つなのだ。

 親が「よい子」を強要したわけではないのに、ホンネの気持ちをしまい込み、無理をしてしまう子どもたち。それはまるで、スマートな人間関係の裏でストレスにあえいでいる、現代の大人社会の縮図を見るようだ。

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