カテゴリー「■第2章 感情抑圧から、さまざまな問題が生まれる」の記事

(7)テレビ漬けは、子どもをダメにするか?

 私が生まれたのは昭和30年代前半で、物心がついた頃、わが家にはすでにテレビが鎮座していた。「鉄腕アトム」「鉄人28号」など当時の子ども番組の主題歌を、今でもかなり正確に思い出せることを思うと、私はかなりのテレビっ子だったのだろう。
 そんな私だから、子育てを始めた時、子どもをテレビ・ビデオ漬けにしないまでも、いっさい見せないでおこうとは思わなかった。そんなことをすれば、テレビ好きの私の方が、先にストレスで参ってしまう。それに、テレビ番組を通して知識が増えたり、人として大切なことを学んだりすることもあるだろう。そんなことを思いながら、あまり気にしないでほどほどに見せていたが、それで特に困った事態に陥った覚えはない。
 「テレビ・ビデオは子どもの成長に悪影響を与えるから、絶対に見せてはいけない」と主張する人がいる。だとすれば、多くの子どもたちが相当なダメージを受けているはずだが、あまりそのような話は耳にしない。「おかしな子どもたちが増えてきていることが、その証拠だ」と言われても、説得力に欠ける気がする。
 しかし、「悪い影響はまったくないと言えるのか?」と問われたら、「ない」とも答えられない。というのも、テレビから悪い影響を受けてしまった子どもたちに、何人か会ったことがあるからである。

 私のところには、言葉の遅れが心配で相談にみえるケースがある。その中には、「テレビを片づけたら、急に言葉が出てきた」という場合が時々あるのだ。それは、私が指示したのではなく、あくまでも親が考えて実行した結果なのだが。一方で、「テレビを片づけても、言葉の成長には、なんら変化は見られなかった」という報告を受けることも多い。この違いはどこにあるのだろうか。
 テレビから悪い影響を受けてしまう子どもには、ある共通点がある。子どもがテレビを見ている様子を観察すると、生き生きとした躍動感が感じられないのだ。ニコニコしながら見ているようでも、ビデオの同じ箇所を何度もリピートしてみたり、子どもが興味を持つとは思えないような内容の番組をボーッと眺めていたりする。つまりこれは、“まぎらわしの行動”なのだ。
 かまってほしいと親に対してダダをこねたり、甘えてきたりといった行動を通して、子どもは自己表現の技術を身につけていく。しかし、親への欲求表現を我慢してしまう子どもは、人と関わることや感情表現へのモチベーションを早くから失ってしまうのだ。したがって、テレビ・ビデオの視聴が、その子どもにとっての“まぎらわし”の手段だったとすれば、それらを見せないことで、言葉の発達を促すことができる。
 しかし、別のことがまぎわらしの手段になっている子どもの場合は、テレビを片づけてもなんら変化は見られないだろう。またテレビを片づけたとしても、指しゃぶりや物なめなど、新しい“まぎらわし行動”に移行してしまったなら、自己表現にはブレーキがかかったままなのだ。

 もっとも、テレビを消そうとすると、異常なまでに怒り狂って暴れ続ける子どもがいる。親の目からすると、「本当に好き」としか思えないのだが、これは、テレビが“まぎらわし”の手段になっている子どもの特徴だ。まぎらわしの手段が奪われたため、心の中にため込んでいたマイナス感情が一気に吹き出てきたのである。相談室では、「本当はママと遊んでほしいのに、ずっと我慢していたんだよね」と受け止めてあげてとアドバイスをしているが、そんなバトルを繰り返すうちに、子どもはホンネの要求を表現してくれるようになる。つまり、親にかまってもらおうと甘えてくることが増えてくるのだ。
 もともと感情抑制傾向をもたない子どもは、親が楽をしようと思ってテレビを見続けさせようとしても、そのうち飽きてしまい、かまってもらおうとダダをこねはじめるはずだ。テレビもビデオも、「パパやママに甘えることの快感」には勝てないのだ。

 テレビやビデオ自体が悪いわけではない。もともと感情抑圧傾向がある子どもにとっては、魅力的なものほど、あるいは刺激の強いものほど、“まぎらわし行動”の対象になりやすいのだ。
 同じことが、TVゲームについても言える。「内なる世界の構築」と「他者とのナマの感情の交流」とのバランス感覚に優れた子どもだったとしたら、ほどほどのところでTVゲームに飽きてしまい、それがまぎらわしの手段になることはないだろう。しかし、感情抑圧という時代の風を受けている子どもの場合、TVゲームにのめり込み、よりいっそう感情抑圧が強化されてしまう危険性が高いのではないだろうか。
 しかし、「TVゲームをさせない」という単純な発想は、「まぎらわしとしての癖を、表面的な行動だけを見て禁止する」というのと同じことだ。感情抑圧傾向自体がそのままだったとしたら、新しい、そしてより屈折した感情抑圧の手段へと移行してしまうだけなのだ。

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(6)「まぎらわし行動」による感情抑圧

 ある時、「子どもの爪噛みがひどい」と相談を受けた。「なくて七癖」という諺があるぐらいだから、癖ぐらい誰にでもあるものだ。特に子どもの癖は、一過性のものが多く、親があまり気にしない方が良い場合が多い。ところが相談のケースは、限度を超えていた。両手の指は、爪噛みによる深爪で血が滲んでいる。噛む爪がなくなると、今度は、足の爪をかじりはじめる。見るに見かねてやめさせようとすると、大暴れのかんしゃくを起こす。「こんな状態でも、気にしてはいけないのでしょうか」という相談だった。
 爪噛みがひどいのは、朝、幼稚園に出かける時や、園で友達の輪に入れず、一人でぽつんとしている時などだという。「緊張しやすい子なので、幼稚園がストレスなのだと思いますが」と母親。しかし不思議なのは、幼稚園から帰ってきて、家でビデオを見ている時などにも、爪噛みがひどいそうだ。これは、いったい、どういうことなのだろうか?

 爪噛み、指しゃぶり、髪を引き抜く、性器をいじる、体を掻きむしる、物なめ、歯ぎしり等々、限度を超えた癖をもつ子どもの多くには、感情抑圧傾向が見られる。特定の儀式的な行動パターンへのこだわり、特定の物やおっぱいなどへの固執、四六時中食べ続けるといったケースもある。これらの行動はすべて、特定の身体感覚に没入することによって、気持ちをごまかそうとする“まぎらわしの行動”なのだ。そのため、通常なら泣いたりダダをこねたりするような場面で、気になる癖が出ることが多い。
 こういったタイプの子どもは、ひとつの行動を禁じると、別の“まぎらわしの行動”に移行してしまうだけだ。爪噛みを厳しく叱ると、今度は、自分の髪を引き抜くようになるなど、もっと困った癖が出現してしまう。しかし、こういった子どもも、「幼稚園に行くのは嫌だ!」と登園時にダダをこねたり、友達の輪に入れない時は「先生と一緒がいい!」と甘えられるようになったりすると、自然に癖は消えていくことが多い。
 では、ビデオを見ている時の爪噛みは、どういうわけなのだろうか。この子どもの場合は、カウンセリングが進んでいくうちに、「本当は、ビデオを見たいわけではない」という気持ちを抱えていたことがわかってきた。本当は、幼稚園は大変だとダダをこねたり、母親に甘えたりしたかったのだが、それを無理に我慢していたのだ。

 ひどい癖なら注目されやすいが、ビデオ視聴のように、一見、合理的な行動が“まぎらわし”の手段になっている場合は、それとは気づきにくい。絶えず動き回ることによって、気持ちを押さえ込もうとしている子どもと、本物の「行動的な子」。一方的にしゃべり続けることによって、ホンネの気持ちを隠そうとしている子どもと、本来の個性として「話し好きな子」。その差異を示すサインはとても微妙だ。
 自由に行動しているにもかかわらず、ため息をつくなど、なんとなく不機嫌だったり、逆に、妙にハイな状態であることもある。生き生きとした子どもらしい躍動感が感じられない、同じパターンを繰り返すなど活動が非建設的、反対に、次から次へと刹那的に活動の対象を替えるような場合もある。何より顕著なサインは、体の過緊張状態がどんどん進行していくことだ。これさえも、慣れた目でないと見抜きにくいかもしれないが、極端なくすぐったがり屋は、その表れであることが多い。
 それが“まぎらわし”であったとしたら、気持ちの発散・表現が上手になるにつれ、落ち着きが出てきたり、人の話が聞けるようになったりという変化が出てくる。多くの親は、この段階になって初めて、「ああ、あれは本来の個性からの行動ではなく、まぎらわしにすぎなかったのだ」と実感するのだ。

 もっとも、“まぎらわし”をすべて悪だと決めつけることはできない。ビデオに逃げ込んでいるうちに、いつの間にかその世界に精通し、やがて映画監督として名をあげる人もいるだろう。しゃべり続けることで不安をまぎらわすうちに、話すことが得意になり、やがてお笑い芸人として脚光を浴びるようになった人もいるはずだ。実際、TVで活躍している芸人さんの中には、「本来は、とても緊張しやすい人なのではないだろうか」と思われる人も少なくない。
 「こだわりの強い子ども」という表現は、否定的な意味で使われることが多い。しかし、クリエイティブな分野で活躍している大人などに対して「こだわりの人」と表現する時は、賞賛の意味で使われる。つまり、こだわりは長所にも短所にもなりうるのだ。
 また大人の場合、ビデオを見たり、運動をしたり、人と楽しくおしゃべりしたりすることによって、ストレスを解消することがある。それらの行動も、ストレスの核心であるマイナス感情そのものに目を向けていない点からすれば、まぎらわしの行動の一種だろう。しかし大人の場合、子どもとは違い、泣いたりダダをこねたりといったストレートな気持ちの発散方法はなじまない。したがって、大人にとって“まぎらわし”行動は、ストレス・コントロールのために不可欠な手段と言える。

 ところが小さな子どもの場合は、“まぎらわし”行動が、知的な発達に深刻なダメージを与えることがある。それは、泣く・ダダをこねる・甘えるといった行動が、コミュニケーション技術の基礎を作る役割を果たすからだ。

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(5)TVゲーム全盛の必然性

 私が子ども時代を過ごしたのは瀬戸内海に面した小都市で、太平洋戦争中には、戦艦大和が建造された海軍工廠があったところだ。そのせいか昭和30年代になっても、町のはずれには、防空壕の跡がまだいくつか残っていた。子どもが入って遊んでいて壕が崩れ、大けがをしたとか、死んだとかという話も聞いた。親や先生には「絶対に入っていけない」と言われていた。防空壕のほとんどは、コンクリートでしっかりと入り口が塞いである。しかし中には無防備の状態で放置されていたものあって、ぽっかりと口を開け、未知の暗闇の世界に誘うその存在は、子どもたちにとっては逃れがたい魅力をもっていた。
 ある時、近所の年上の悪ガキに誘われ、禁を犯したことがある。少し山に分け入った崖に口を開けていたその防空壕は、小学生がかがんで入るのがやっとの小さなものだった。言い出しっぺの悪ガキは、家からこっそり持ち出したペンライトを片手に、先頭で中に入っていく。誘われた年下の者たちはそれに続いたが、気弱な私は、入ろうか逃げようか迷ったあげく、最後尾からついていった。悪ガキの持つ明かりは、後ろまでは届かない。カビ臭く湿った暗闇の中を、のろのろと進みながら私は、穴が崩れるのではという心配より、戦時中、壕の中で生き埋めになった亡霊が襲ってくるのではないかという恐怖でいっぱいになった。その時のドキドキは、今でも忘れられない。

 あの時代の子どもたちは、親の目の届かないところで“冒険”を楽しんでいた。秘密基地作りが全盛で、空き地や工事現場の片隅などは、かっこうの遊び場だった。大人の目の届かない場所、見つかれば怒られるかもしれないが、大丈夫かもしれないという「冒険のためのグレーゾーン」は、近所にまだたくさんあった。
 今の社会から見れば、森も空き地も工事現場も、町のいたる所、「ずさんな管理」だらけだった。そのぶん事故もあっただろう。しかし当時は、施設管理者の責任を問うよりも、親のしつけが責められるよりも、まず先にこっぴどく叱られたのは当の子どもだった。ところが、「子どもの安全」が最優先される現代では、事情はがらりと変わっている。
 ある町内会で、団地に隣接する小さな森を、地主に交渉して遊び場として開放してもらおうという計画が持ち上がった。「それは、いいことだ」と、町内総会では満場一致で支持された。しかしその後、「万一事故が起きたら、いったい誰が責任をとるのか」「事故防止のため、監視員を雇うべきだ。その予算はどこから出すのか」といった声が上がり、計画はあっという間に立ち消えになってしまったという。
 子どもたちを守るセキュリティシステムが整備された社会では、“冒険”は姿を消さざるを得ないのだ。「安全な冒険」など存在しない。なぜなら、「冒険」とは、「危険を冒す」という意味だから。

 しかし、この矛盾を見事に解決したのが、TVゲームなのではないだろうか。ゲームの中で主人公になりきれば、ドキドキする冒険が可能だ。またゲームの世界には、複雑な機械操作や友だちとのデータ交換など、大人たちがなかなか入っていけない領域が広がっているが、これもまた、子どもにとっての魅力の一つだろう。
 子どもが持て余している体力と感情を、スポーツの中で発散させようという試みがある。幼児のうちから、りっぱなユニフォームを与えられ、大人の指導の元に汗を流す子どもたち。しかし、ちょっとした休憩時間には、グラウンドの片隅で、TVゲームに没頭する子どもがいる。そこには、“大人公認の場”では得られない何かがあるのだ。
 「安全でいてほしい」という大人の思いと、「危険な冒険をしたい」という子どもの思いの妥協の産物が、TVゲームなのだ。それゆえ、ブームは当分衰えることはないだろう。

 ところが、TVゲームによる「疑似体験としての“冒険”」と、昔の子どもの「実体験による“冒険”」とでは、感情体験の質が微妙に違っている。後者における感情体験は、体全体からわき出るような感情発散であり、その意味ではじゃれあい遊びに近い。しかし前者の場合は、非常に限定的な感情体験である。
 TVゲームにおいては、指先の細かい操作やデータ認識、攻略法などの情報処理が重要な要素を占める。冷静な判断・正確な処理や操作が必要とされるのは、ゲームの目的が「クリア」(目標の達成)だからである。TVゲームのおもしろさは、挑戦の過程での感情体験もさることながら、目的達成による快感に負うところが大きい。
 昔の子どもの「実体験による“冒険”」では、目的の達成は、いつの間にかどうでもよくなってしまうことが多かった。秘密基地が未完成のまま終わろうが、最後に壊れてしまおうが、活動の過程での感情体験の方がおもしろかったのだ。
 こういったTVゲームの特性は、現代の子どもの感情抑圧傾向に拍車をかけてしまう傾向をはらんでいる。

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(4)眠れない子どもたちのからだ

 子どもの就寝時間は、年々、確実に遅くなっている。日本小児保健協会の調査によると、夜10時以降に就寝する5~6歳児は、1980年に10%だったのが、90年は17%、2000年には40%に達したそうだ。大人社会全体が夜更かしになっている影響や、TVゲームなどで脳の興奮状態が高まっていることなどが原因とされることが多い。大人とは違い子どもの場合は、心身ともに発達途中にあるのだから、その影響が懸念されるだろう。実際、幼稚園や小学校などで、朝から大あくびでぼおっとしている子どもが目立ってきているという。文部科学省もこの事態を重要視し、子どもが望ましい生活習慣を身につけるため、「早寝早起き朝ごはん」運動を提唱している。
 ある小学校の“夏休みのしおり”を見せてもらうと、「毎日、ロックのリズムで」と書いてあった。「6時に起きて、9時に寝よう」ということなのだそうだ。しかし昔は、「子どもは8時に寝る」というのが常識だったように思う。わが家では、毎週金曜日だけは、『ディズニーランド』という午後8時から9時までのTV番組を観ることが許されていたが、子どもの私は途中で寝入ってしまい、最後まで観られないことも多々あった。しつけ以前に、昔の子どもの体には、夜更かしができないような自然なリズムが備わっていたのではないだろうか。

 落ち着きがなく、聞き分けが悪くて困り果てているという4歳の子どもの相談を受けた。ふだんの様子を聞いたり、実際に子どもとやりとりをしてみると、例によって、平気な顔をして、気持ちを溜め込んでしまっている傾向が見られる。そこで、気持ちの発散を促すやりとりをしてみたところ、30分ほど大暴れ、大泣きをした後、母親の腕の中でストンと寝てしまった。揺すぶってもぴくりともしないほどの熟睡ぶりに、母親は驚いた。神経質で、ふだんは寝つきがとても悪いのだそうだ。眠りも浅く、ちょっとした物音でもすぐに目覚めてしまうという。ましてや、よその家で寝てしまうようなことは、まずないそうだ。
 このようなことは、珍しいことではない。気持ちを溜め込んでしまい、体が過緊張状態にある子どもは、気持ちを吐き出してしまうと、一気に体が緩んでいく。その結果、あっという間に眠ってしまう子どもも多い。つまり寝つきの悪さは、感情抑圧による体の過緊張状態が原因となっているふしがあるのだ。

 相談室を訪れる子どもには、睡眠に関する問題を抱えている子どもも少なくない。
 ある子どもは、寝る前になって、いつもかんしゃくを起こすという。眠りが浅く、夜中に急に飛び起きて、暴れだす子どももいる。われわれ大人も、昼間は忘れていた心配事を、夜、床についてから思い出し、眠れなくなることがある。夜は、心の奥に押し込めていた感情が浮上してきやすいのだ。
 別の子どもは、寝る時間になると、急におもちゃで遊びはじめ、いくら注意してもやめようとしないという。眠そうな顔をしているのに、「眠くない」と言い張り、限界までがんばり続けたすえ、おもちゃを持ったまま眠りに落ちるのだそうだ。自然な眠りのリズムにゆったりと身を任せようとしないさまは、母親の抱っこに身をまかせない赤ちゃんを彷彿とさせる。実際、このような子どもたちは、「眠い」とぐずって母親にまとわりつくことが少ない。また、添い寝をしてやっても、母親と距離を置きたがったり、背中を向けて寝るような傾向がある。
 ところが甘え上手になってくると、眠くなった時、しっかりと母親にまとわりついてくるようになる。また、寝つきがよくなったり、ぐっすりと眠れるようになってくるのだ。

 このように、睡眠に関して特に困った問題を抱える子どもは、割合的には少ないだろう。しかし、それは氷山の一角なのだ。子どもの就寝時間が遅くなっている原因の一つに、子どもたち全体に感情抑圧傾向が高まっていて、体の緊張レベルが上がっていることが考えられるのではないだろうか。だとすれば、「ちゃんと寝なさい!」と、寝ることに対して努力を強いるような接し方は、逆効果になってしまう。努力や頑張りは、体の緊張レベルを上げることに繋がるからだ。「頑張ってリラックスしなさい」という要求は、それ自体が矛盾している。
 大人社会でも、年々、不眠症が深刻化している。3人に1人が睡眠障害に悩んでいると言われるアメリカでは、睡眠改善薬、サプリメント、寝具、照明器具などの“快眠産業”が活況を呈しているそうだ。日本でも、4人に1人が何らかの睡眠障害を抱えていると言われ、近い将来、“快眠市場”は3兆円規模に膨れあがるだろうと予測する人もいる。様々な努力によって快眠を得ようと四苦八苦する大人たち。その方向性が正しいかどうかは、子どもたちの現状を観察すれば、はっきりとわかるのではないだろうか。

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(3)甘えと発散によるゆるみ

 極端に落ち着きがなく、小学校が心配だという幼稚園年長組の子ども。平気な顔はしているが、不安と緊張を抱え込みながら、それを絶えず動き回ることによって我慢しようとしているのが見てとれた。そこで、リラックスを促すために、じゃれあい遊びによる気持ちの発散を誘ってみることにした。
 子どもの体に触れたり、手を軽く引っ張ったりして、「ねえ、ねえ、遊ぼうよ」とじゃれてみる。スルリと逃げられる。「待ってよ~」と追いかけてつかまえる。また逃げられる。しばらくは、そんなことの繰り返しだった。しかし、ちょっとしたやりとりの中にも、この子の持つ“人との関わり方の不器用さ”が垣間見られた。
 あまり緊張しないタイプの子どもだと、この手の遊びには目を輝かせる。「いやだよ!」と言いながらも、嬉しそうな顔で、反対にちょっかいを出してきたりする。逆に緊張の強い子どもだとしたら、不安そうな表情を浮かべ、母親のところへ逃げていき安全を確保しようとする。しかしこの子どもの場合は、そのどちらでもなかった。遊びにのってくるわけではなく、かといって、母親に助けを求めるでもない。ひたすらちょっかいに耐えながら逃げ回るのだが、顔には不可解な笑みを浮かべているのである。
 それでも、しつこくじゃれあい遊びに誘い続けていると、突然、ギャーッと叫び、叩いたり、噛みついたりしはじめた。母親は慌てながらも、「家でも、幼稚園でも、わがままな行動を注意すると、突然こんなふうになることがある」と言う。

 長年、じゃれあい遊びに取り組み続けている「さつき幼稚園」でも、似たようなことがあるそうだ。遊びが夢中になると本性がむき出しになり、ケンカや、先生を叩く・蹴るなどの行動が出てしまう場合があるという。
 しかしこのような事態は、小さな子どものカウンセリングでは、よくあることだ。じゃれあい遊びは、閉じていた“心の蓋”をはずす作用がある。そうなると、ほどほどのストレスがある子どもは、ほどほどの気持ちの発散で済む。しかし、周囲の大人が気づかないほどの大きな不安や緊張を溜めこんだ子どもは、それが一気に吹き出してくるので、限度を超えた大暴れになってしまうのだ。
 もっともそれは、やっとホンネの気持ちを表現しはじめたことを意味するから、“適切な不安の訴え方”を学んでもらう絶好のチャンスだと言える。母親にしっかりと抱きしめてもらい、「嫌なことがあったら、お母さんのところに、ヤダヤダを言いに来ていいんだよ」と慰めてもらう。気持ちがすっかり吐き出されると、子どもはゆったりと母親に抱かれて落ち着くのだ。
 このような接し方を続けるうちに、多くの子どもは、だんだん甘え上手・ダダこね上手になり、無理に気持ちを溜めこまなくなってくる。この子の場合は、「幼稚園は嫌だ」と訴えるようになってきた。集団参加に伴う緊張を人知れず溜めこみ、それを動き回ることによって紛らわし続けていたのだろう。毎朝、登園をぐずるなど、一時母親は大変だったが、一方で子どもの行動はぐんぐん落ち着いていった。そして入学を迎える頃には、元気に登校していけるようになったのだ。

 スーパーや電車の中、病院の立ち会い室など公共の場で騒ぐ子どもが増えたと、時々問題視されることがある。「今の若い親は、しつけがなっていない」「人間関係が希薄になって、まわりの大人も見て見ぬふりをしていることが多い」という意見もある。
 もちろん、しつけは必要だろう。しかし過緊張状態のままでは、昔ながらのしつけをしようと思っても、なかなかうまくいかないことが多い。しかも、自分勝手に動き回る子どもが「緊張している」ということは、一般には、なかなかわかってもらえない。その結果、「甘やかしすぎ」と判断され、厳しい対応がされることが多いが、それは逆効果になってしまうのだ。緊張がかえって高くなり、よけいに落ち着かなくなる。さらに厳しく叱ると、別のまぎらわしの行動(爪噛み、指しゃぶり、髪を引き抜く、自傷行為など)が出てくるケースもあるのだ。

 心と体が緩まないことが原因で、落ち着きがなったり、悪ふざけが止まらなくなったりしている子どもたち。このような子どもの場合は、優しく接するにせよ、厳しくしつけるにせよ、それが結果的に心の蓋を閉じるような作用を及ぼすと、ますます緊張が高まり、逆効果になってしまう。
 このような子どもに必要なのは、上手に甘えたり、泣いたり、ダダをこねたりして、うまく気持ちを発散することなのだ。昔に比べて、本当の意味での甘え上手・泣き上手な子どもが減ってきたことが、子どもの体に過緊張状態を引き起こし、落ち着きのない子どもが増える一因になっているのではないだろうか。

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(2)緊張しすぎて、落ち着けない子ども

 今、保育園・幼稚園の先生たちは、落ち着きのない子どもへの対応に苦慮している。勉強のカリキュラムがきちんと決められている小学校では、さらに事態は深刻だ。昔も、入学式の最中に椅子の上に立ち上がり、父兄席を眺めては「絶景かな」とやっているわんぱく坊主はたまにいた。しかし最近の入学式では、それが一人や二人ではないという。授業中も、勝手に席を離れて歩き回る子どもを注意していると、別の子どもがウロウロしはじめる。「昔の小1は、こんなではなかった」と嘆くベテラン教師は多い。学級崩壊は、2,3人の落ち着きのない子どもの存在がきっかけになると言うが、現代の子どもは全体的に落ち着きに欠ける傾向があるという。
 「子どもとは、本来落ち着かないものだ。落ち着いている子どもの方がおかしい」「子どもの自由な発想や行動を、大人の一方的な考えで管理しようとするのは間違いだ」。そう思う方もいるだろう。小学校の教師をしていた頃、私もそのように考えていた。しかし、最近の子どもの落ち着きのなさは、少し様子が違うのである。
 昔の子どもは、何か興味を惹かれる物を見つけ、それで体が動いてしまう場合が多かった。しかし今の子どもは、さしたる目的もなく、暇つぶしがてらにフラフラとさまよい出てしまう感じなのだ。注意すると、いったんは席に着くが、また夢遊病者のように歩きだすことも多い。無自覚のうちに体が動き出すかような独特の感じに、現場のベテラン教師たちも戸惑いを隠せない。いったい、これは何を意味するのだろうか。

 ある時、小学校への入学を直前に控えた幼稚園の子どもの相談を受けた。「極端に落ち着きがないので、入学後が心配だ」という。利発な子どもで、初対面の私に対して、やれムシキングがどうの、ポケモンがどうのと、盛んに話しかけてくる。「あ、それ知ってる」などと相づちを打ってやっていたが、こちらの問いかけに応じないうちに、もう次の話題に移ってしまう話しぶりが気になった。そのうち、部屋に置いてあったおもちゃで遊び始めたが、次から次へとおもちゃを取り替え、ちっとも落ち着いていない。幼稚園でもこんな調子で、自由遊びの時はまだよいが、みんなで一斉に活動をする時なども、自分勝手な行動ばかりだという。
 こういうタイプの子どもは、一見リラックスしているように思われるが、実は、体の緊張レベルがとても高いのだ。絶えず動き回ったり、しゃべり続けたりするのは、それによって緊張した体の不快感を紛らわせようとしているふしがある。極端にくすぐったがりな子が多いのも、体が緊張しているからだ。こういう子どもが、カウンセリング的なやりとりを通して、本当のリラックス状態を経験すると、自然に落ち着きが出てくる。また、妙にくすぐったがることもなくなっていくのだ。

 愛媛県で「なのはな子ども塾」を主宰する松田ちからさんは、子どもたちの体の過緊張に着目し、ゆったりとした働きかけによって体の緩みを促す“ゆらゆら・ぎゅっぎゅっ体操”を考案した。そして、愛媛大学大学院の現職教員対象の専攻科で学んだおり、小学3年生のクラスで、約9ヵ月間にわたり、“ゆらゆら・ぎゅっぎゅっ体操”を試行し、追跡調査を試みた。その結果、ほとんどの子どもに落ち着きが出てきたという。また、学習に困難を示す子どもの中には、学習の内容が分からなくても、教師にノートを見せることを拒む子が多くいた。しかし体が緩んでくると、わからない時には「教えて」と積極的に助けを求める子どもが増え、最善を尽くそうという意欲が感じられるようになったという。

 栃木県宇都宮市にある「さつき幼稚園」では、1980年頃から、“じゃれつき遊び”を取り入れて効果を上げているという。子ども同士で、思う存分じゃれあって発散させると、その後の活動に落ち着いて取り組むことができ、意欲的になるのだそうだ。
 大人の場合は、マッサージに行ったり、温泉にのんびり浸かったりすると、体の過緊張が緩和される。しかし子どもの場合は、大声をあげたり、体全体を激しく動かしたりして発散した方が、リラックスできるのだ。“じゃれつき遊び”で大騒ぎをした後の方が、心と体がほどよく緩み、落ち着いて活動できるようになるのもうなずける。

 “ゆらゆら・ぎゅっぎゅっ体操”で、ゆったりと大人に体を預ける体験は、親に甘えて抱っこをされた時の感覚とよく似ている。“じゃれつき遊び”による大騒ぎは、ダダをこねる時の気持ちの発散と通じるものがあるだろう。
 「落ち着きのない子どもが増えている」という状況の背景には、体の過緊張があり、さらにその根っこには、甘え下手・ダダこね下手による感情抑圧傾向が大きく影を落としているのである。

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(1)甘え下手で、勉強が進まない小学生

 小学校教師をやっていた経歴から、時々、小学生の勉強について相談を受けることがある。その多くは、親が教えても上手くいかない、家庭教師に頼んでもお手上げ状態という、一筋縄ではいかない子どもたちである。
 いわゆる“教育ママ”などではなく、「その子なりのペースで、分相応の学力さえついてくれれば」という考えの、きわめて常識的な親たち。できそうな程度のやさしい問題からやらせてみる。叱らないように、根気強く教えていこうとする。それにもかかわらず、2、3問ですぐにあきてしまい、悪ふざけを始める。ちょっと注意すると、すぐに怒り出す。その繰り返しだ。
 勉強が苦手なだけなら、まだ理解できる。しかし、いつも力を出し切る前に、やる気を失ってしまうのだ。「どうすれば、やる気を出してくれるのでしょうか?」という相談である。

 ある時、相談室を訪れたのは、小学2年生の子どもだった。特に引き算が苦手だという。どの程度なのか、試しに、1年生の最初に習う一桁同士の簡単な引き算をやってもらうことにした。「できそう?」と尋ねると、「だいじょうぶ。これぐらい簡単!」とやる気満々だ。鉛筆をギュッと握りしめ、息を詰めながら、3問続けて解いたが、4問目で動きが止まった。
 一桁同士の引き算とはいえ、苦手な子にとっては、微妙な難易度の差がある。4問目は、少し難易度の高い問題なので、このあたりから理解が曖昧になっているのだろう。そこで私は、「ちょっと難しいかもね。ヒントをあげようか?」と声をかけた。しかし子どもは「だいじょうぶ」と言う。ところがやがて、問題をそのままにして、筆箱の中をゴソゴソいじりだした。「やっぱり、難しい? だったら、ヒントをあげるよ」と言っても、こちらに目を向けず、筆箱をいじり続ける。なおもしつこく私が話しかけると、「もう、やらない!」と言って、プリントを投げ捨てた。
 「いつもこんな調子なんです」と、困惑顔の母親。叱ると、「どうせ僕はバカだから!」と叫び、自分の部屋に閉じこもってしまうのだという。

 昔の「できない子」はこんな感じではなかった。勉強嫌いの子どもは、出された問題に愛想良く取りかかったりしなかった。苦手な問題であれば、安易に教えてもらおうとした。「最近は、プライドが高すぎる子どもが多い」と言われるが、確かに、そういう見方もできるだろう。「できない」という自分の弱みを見せたくないし、人に助けを求めることも悔しいのだ。そこには、「泣かない赤ちゃん」や「甘えようとしない幼児」と同じような、“我慢の構図”がある。自力でやらねばならぬと無理をするからストレスが溜まり、かえって勉強への意欲を失ってしまうのだ。

 このような子どもは、“自立”を促そうとすると“孤立”に陥り、“集中力”を鍛えようとすると“過緊張”になってしまう傾向がある。こんなタイプの子に必要なのは、むしろ“依存”や“弛緩”なのだ。そこで母親に、こういった心のメカニズムを説明し、「親に甘える」ことを促すようなカウンセリング的なやりとりを優先させていくことにした。
 やがて、硬かった子どもの心がほぐれてくると、「引き算をやろう」という誘いにすぐには応じなくなり、「嫌だ」とか「難しい」とか、グズグズと不平を漏らすようになってきた。このようにダダをこねられる子どもは、心のガス抜きができ、不安が解消されやすくなるのだ。ある程度ダダをこねさせた後で、まあまあとなだめると、しぶしぶやり始める。しかし不安を無理に抱え込んでいないので、肩の力がほどほどに抜け、息を詰めている様子もない。リラックスできると、集中力が持続しやすいのだ。
 難しい問題に当たると、気軽に質問してくる。説明してやると素直に聞き、「ああ、なるほど」と、また問題に向かう。さすがにそのうち飽きてきて、ふざけ始めることもあるが、少し相手をしてやると、「さあ、やらなくっちゃ」と、自ら問題に戻っていく。このように、「依存と自立」「弛緩と集中」のリズムが整っていくと、親が家で教える時も、やりとりがうんと楽になっていった。

 新人研修で、パソコンで注文書を作成するように言われた新入社員が、何もしないで、1時間もパソコンの前に座っていた。不審に思った先輩社員が聞くと、「やり方がわからない」と言う。「そういうときは、尋ねるんだよ!」と、先輩は呆れたそうだ。
 このような状況に、「マニュアル社会のせいだ」とか、「自立できていない」とかいう声がある。しかしここにも、甘え下手の構造があるのではないだろうか。“自立”や“集中”が足りないのではなく、“孤立”と“過緊張”がゆえに、力を出し切れないでいる若者が増えている気がしてならない。

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